ギロチン

腐れポモウヨをぶっ潰す👊

メモ:最近のオンライン・サロンについて

イケダハヤトやはあちゅう周辺のオンライン・サロンとかいうのが延焼しているっぽいけど、かつて宇野常寛さんの右腕だった転叫院氏が2009年時点でこんな予想をしていたので、internetarchiveから掘り起こした当時の日記を以下に貼っておこうと思う。

web.archive.org
抗争ゲーム」から「搾取ゲーム」へ

同じ地方都市(人口10万くらいが妥当か)の中でマルチ商法同士が信者獲得のために動員ゲームやる話を書けばゼロ年代的かも。マルチ商法VS新興宗教でもいいけど。

でも、リアルにこのプロットを考えたら、どうやってもこの両者が戦争なり抗争なりやるっていう方向性には行かないと思うんだよね。マルチ商法でも新興宗教でもいいけど、「他者否定」の色がどんどん薄まっていったのがゼロ年代なんじゃないかって思う。

他者否定をミニマムにした解の一つがスピリチュアルでしょう? スピリチュアルは信者から広く薄く搾取したけど、今のところ対外抗争は殆どやっていないように思う。

マルチ商法とかインチキ商売だって、昔はもっと危機をあおったり差別的優越感をあおったりするものが多かったと思うんだよね。90年代が「買ってはいけない」の時代で、そこから「(買ってはいけないは)^n++ 買ってはいけない」の無限後退が起こって、その袋小路から「ステキな私に生まれ変わるために○○を使おう」的なポジティブ広告に針が触れたんじゃないかと思う。

ゼロ年代初頭の「バトルロワイヤルのエレガント化」というのは、仮想敵を名指しせず、政治的に正しい言い逃れを続けることであった。つまり、動員ゲームの「指し手」たちはこぞってPC化したのである。

そのような「エレガント化」によって、「エクスプリシットな抗争から、インプリシットな搾取へ」という動員ゲームの質的転換が起こった。なので、わざわざ「バトルロワイヤルをエレガント化すること」などと言わなくても、ゼロ年代終盤の動員ゲームは既に十分にエレガント化している。エクスプリシットな抗争なんてものは起こらない。

抗争なんか起こすより、「仮想敵のポスターに向かってパイ投げできるアトラクション」を用意してやって、広く薄く入場料を取るほうが効率的な動員ゲームだからだ。

ワープア論壇が団塊の世代と直接対決したか? にちゃんねらーが「プロ市民」と直接対決したか? そんなことは殆ど起こっていない。にちゃんねらーは「プロ市民のポスターに向かってパイ投げできる場」を作り、無害に動員し、無害に盛り上がっているだけだ。動員ゲームの「指し手」たちはみな、「政治的に正しい、仮想敵を直接的には名指ししない作法」を身に着けつつあるように思う。

したがって、今後必要になる「動員ゲームをサバイブする知恵」とは、「政治的に正しい言い逃れの背後にある搾取を暴くこと」である。政治的に正しい「動員ゲームの指し手」たちに「政治的に不適切な失言」をさせ、その言質を取って戦うすべを、一般構成員たちに教えるのが、ゼロ年代終盤の啓蒙だ。

web.archive.org

 バトルロワイヤルとかいうよりは、「日常生活の劇場化」+「劇場の政治化」(http://blog.tatsuru.com/2008/07/12_2204.php)によって、「日常生活のプチ政治化」が起こったというのが、僕の00年代の社会状況の変化に対する見方。


確かに政治的プチ動員ゲームは起こっているだろけれど、その規模は年が進むごとに縮小して行っている気がする。確かに、ムラと高速道路の峻別によって、日本全体がぷちハマータウン化して、それぞれのぷちハマータウンでは、ミニミニ田中角栄やミニミニ鈴木宗男が政治的動員ゲームを繰り広げているわけだけれども、それって「動員ゲーム」とか言うほどの規模のものなのか? と思う。


バトルロワイヤルや動員ゲームの例としてネットのいわゆる「噴きあがり」を上げるのはミスリーディングだと私は思う。昔の、たとえば70年代の新左翼内ゲバや、暴走族の抗争とかのほうが、今から見ればよっぽど社会的に問題のある動員ゲームだったと思うし、00年代は概して平和な時代だったように思える。


70年代が人間に向かって火炎瓶を投げつけることもあるような時代だったのに比べれば、00年代は仮想敵のポスターに向かってクリームパイを投げつけるような時代で、よっぽど安全かつ無害な時代になっているんじゃないだろうか、と。


おそらく、経済的・心理的にペイする範囲ということを考えると、現代人の「(対外抗争・対内抗争を含むバトルロワイヤル的な)動員ゲーム」に対する欲求って、せいぜい身の回り10人を動員できれば十分満たされるものなんじゃないかな、と僕は思う。オウムや昔の新左翼みたいなことをやろうとする誇大妄想的な統率力を持てる(そのモチベーションを維持できる)人なんて、あと10年は日本には出てこないと私は思っている。予測が外れたら謝ります。もちろん、100人や1000人で、仮想敵のポスターに向かってクリームパイを投げつけるイベントは起こるだろうけれど、それは悉く一過性の場当たり的なものになると思う。


そして、100人や1000人を動員するような団体が現れるとすれば、それは何らかのリアルな敵に向かって抗争を仕掛けるような団体ではあり得ず、むしろマルチ商法的に、構成員のローカルなナルシシズムに囁きかけ、上層部が一般構成員から広く薄く搾取するような集団として現れると思う。


だから、私の考える00年代向けの啓蒙というのは、いかにして一般構成員たちに、上層部の搾取のからくりを暴かせしめるか、というのを教えることだと思うのだけれど。
※太字部分は当ブログが強調

ぶっちゃけ、ハズレた予測もあるけど(ネトウヨvs反レイシズムが日常化した)当時の時点で、今のAKBやオンラインサロンの出現を予測してたかのような指摘は興味深い。はあちゅうやイケダハヤトにせよ、転叫院がいうところの「エクスプリシットな抗争から、インプリシットな搾取へ」と形容できるものであろうし、細分化されたクラスタやコミュニティのブロック化が起こっているのが、10年代終盤の今現在の状況ではないかと思う。久しぶりにゼロアカっぽい記事を書いてみた。