ネット右翼からネットdadaの時代

ここ数日の政治がらみの話題を見ていると、ネトウヨの時代からネトdadaの時代への移り変わりを感じる。無論、dadaとはツイッターの某有名冷笑系インフルエンサーのことを指す。


逆に今どき、ネトウヨにかぶれてしまうのは、もはやニヒリストや亜インテリではなく、そこそこ教養的な一般層とか、もしくはポジティヴ系の人である気がする。このタイプは、ネトウヨ的なものへの耐性がないから、知らずして染まりやすいんではないかと思う。世間やメディアの日本凄いブームみたいなものが、よりソフィスティケートされた形で、マイルドな一億総ネトウヨ化を加速させ続けているという、もう一段階最悪の状況が進行しているんじゃないだろうか。ニヒリズムの否定が、ある種のメタニヒリズム症候群を引き起こしていそうなのは、捻くれたネット民なら何となく理解してくれるだろう。


だから、『君の名は。』と『この世界の片隅に』に、ネトウヨ性を見出している人がいたけど、たしかに、今はああいった目に見えない形で、ネトウヨ的な暗黒啓蒙が行われる段階に突入しているのかもしれない。『シン・ゴジラ』も震災以降のリアリティを体現したというよりか、逆に震災以降の現実を否定する、プロパガンダファンタジーといった方が合っているような気がする。しかも、シン・エヴァ完結編が2020年に公開されること自体、エヴァ庵野秀明も、クールジャパン的な國體プロパガンダに屈してしまったように見えてならない。本来、エヴァは、そんな薄っぺらいものから1兆光年かけ離れていたはずなのに…。


まあ、小林よしのり戦争論から20年近くたっているわけだから、ネット上のネトウヨムーブメントが、廃れつつあるとしてもおかしくはない。世界に先駆けてネトウヨ化したサブカル国家日本の地で、いち早くそれが収束しつつあるだけともいえる。それでも、相変わらず世間は、ネトウヨ化し続けているわけだけど。逆に無産ネット民は、ロスジェネとも違えば、左右のイデオロギーにも帰すこともない、純粋なルサンチマンと鬱に回帰しているような感じがする。


例えば、なんJ民のネトウヨ動画通報祭りって、2ちゃん的な本質の原点回帰であると同時に、その炎上を脱構築した新しいタイプの祭りだと思う。嫌儲のジャップ連呼も、ネトウヨのタガが外れると、ああいう本音が炙り出されるわけで、ある意味、ネットはメタ・ネトウヨ段階に入っているのかもしれない。


反面、キクマコ的な反原発アンチのニセ科学系SFファンから、イマドキの意識高めなベンチャー系の評論界隈にせよ、彼らは現実主義者などではなく、未だにクールジャパン的なものの可能性を追い求め続けている、誇大妄想狂のロマンティストでしかない。しかし、そのメンタリティは、原作から毒を抜いて、あざとい日常主義を際立たせた『この世界の片隅に』とか、あるいは『君の名は。』『シン・ゴジラ』等にも内在しているものでもあろう。特に『シン・ゴジラ』の、あんな有り得るはずもない、情報工学的に迅速な意思決定をする官僚集団に、己のナショナリズムとクールジャパニズムを投影している一部評論家とかって、ふつうに気持ち悪い。だが、“情報を自由に検索して使う”グーグル的な実存と、クールジャパン的なナショナリズムが奇妙に結託していそうなふしがある。安倍政権的なものを強力に支えている理論も、無教養なネトウヨ中産市民などではなく、そうしたIT系と融合したサブカル言論的なものじゃないだろうか。だから、イケダハヤトや落合陽一にせよ、彼らは日本におけるフラットなAlt-right思想と見立てるべきだと思うのである。


結局、00年代にあれだけ政治やイデオロギー思考からの脱却を叫んでいたサブカル評論は、震災以降、急速に体制に回帰していったように思う。逆に無産ネット民のネトウヨムーブメントは、2011年のフジデモを頂点にして、緩やかに衰退していったような気がする。フジデモで奇声をあげていた古谷経衡も、今や立派な反ネトウヨ冷笑系だ。2ちゃんでもネトウヨが廃れつつあるのは、森友加計が浮上する前から、既に嫌儲のジャップ連呼のような形で現れていたし、公文書改竄事件やネトウヨ通報祭りで、それが2ちゃん全板からヤフコメにまで広がったような感じである。


なので、繰り返しになるが、今激しくネトウヨ化しているのは、RADWIMPSみたいな件とか、意識の高いIT系の人文リベラル層のような中間層であろう。ニヒリズムの拒絶が、また別のメタニヒリズムを呼び込むという、最悪の連鎖が起こっているのだ。しかも、本人たちにその自覚もなければ、自我も強いので、なおさらタチが悪い感じがする。まあ、日本はスピリチュアリズム社会であるのも大きいのだろうが。しかし、それを冷笑できるからこそ、ネット民がネトウヨから足を洗いつつある現実も皮肉なもんだ。