市場の自由はヘイトを加速させる

青識亜論さんとその友人Kさん(仮名)は、ヘイトスピーチ規制を法に委ねるのではなく、市場の自由に任せるべきだと主張しておられる。だが、そこでいう「市場の自由」とはどういう定義なんだろうか。


普通に考えたら、文字通りの市場の自由ということになろう。例えば、ネトウヨネトウヨ本を出したら、リベラルも攻勢をかけて反レイシズム本を出版しまくれということになる。そして、そこで供給されるネトウヨ&リベラル本の量と、それにより喚起される議論が活発化することで、やがて臨界点を迎えて両者の均衡が一致して、レイシズムブームが下火になって消滅するという見立てだと思う。レイシズムやヘイトを、経済学的な“一過性の需要”だと見立てているのだろう。


しかし、ネトウヨ本に比べて、反ネトウヨリベラル本が売れないのは、リベラルに魅力的な商品を作る能力がないせいなのか? ネトウヨ本が売れてレイシズムがブームになるなら、それは自由市場的に許容されるべきことなのだろうか? 無論、そんな小学生以下の粗雑な哲学的認識が許されているわけがない。レイシズムは、市場の結果とは切り離されるべき「悪」でしかない。そうでなくても、レイシズムが加速すれば、外国人が人種を理由に日本でのビジネスから排除される可能性が高まるんだから、それ自体、市場の自由にすら抵触する概念なのである。


まあ、青識さんもKさんもそんなことは織り込み済みである。市場に任せればヘイトはむしろ悪化することを分かっていながらも、彼らはあえて言っている。単に自分で価値判断をしたくないから、全てそれを市場の結果に丸投げしているだけだ。そこで、彼らの知的承認欲求をネトウヨ側に振った方が、より多くの承認を得ることができるから、それに媚びを売るような主張を発信しているのである。


しかし、「市場」の動向を見て投資先を決めるという、人文系の経済原理主義化は今に始まったことではない。東浩紀以降の劣化ポストモダン化とゼロ年代批評、まおゆう以後のオタクのネオリベ化が、人文系の主体性を経済原理化させた。いわゆる「動物化」とは、そういうことである。だが、無害な批判のポースだけを取りつつ、全力で権力に対して媚びを売るようになった批評や思想は、「動物化」どころか、今や「家畜化」したといっても過言ではない。


だが、市場を通じて個々の人間は合理的な行動を取るから、不合理なレイシズムは自然と消えるだろうとは、危機感も無ければ現実感も乏しく、まるで無根拠な仮説である。まあ、青識さんもKさんも、ネトウヨが有利な方が自分たちにとって都合がいいから、これからもネトウヨを後押しし続けていくのであろう。そして、社会のみならず、最終的には自由市場をも破壊することになるのである。


市場の自由によるヘイトとレイシズムの自由の成果↓

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https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2018/07/post-21_1.php