日本オルタナ右翼の祖としての東浩紀

杉田水脈LGBTヘイト発言が延焼しいるが、これをネトウヨの暴走とだけ捉えるのではなく、劣化ポストモダン言説空間としたサブカル人文系の問題ともセットで考えるべきであると思う。


この人文系における、劣化ポストモダン化を加速させた戦犯の一人として、東浩紀の影響を無視することはできないであろう。10年前の大塚英志との対談で「南京大虐殺があったか・なかったかを問うことに意味はない」という、今で言うポスト真実的な言論を良しとする風潮を、当時の若手言論人に布教した人物である。日本においてネトウヨに対する対抗言論が出遅れたのも、東浩紀を始めとする当時のサブカル思想界隈が、そうした自家中毒的な価値相対主義の無限ループに陥っていたことも大きい。


東本人も、東京都の非実在青少年規制騒動の時には、土壇場で当時の副知事だった猪瀬直樹に取り入ったり、朝ナマでは、橋下徹側の席につくようなキャラである。最近もスリーパーセル・三浦瑠麗のようなデマ屋を、ゲンロンのイベントに度々出演させたりしている。まあ、東浩紀は安倍政権支持を表明しているので、意識的に右派であることを引き受けてはいるのかもしれない。しかし、言わせてもらうなら、東浩紀ネトウヨのボスであり、配下のゲンロン会員はレイシスト予備軍であるといっても過言ではないだろう。


また東浩紀的な価値相対主義は、柴田英里さんみたいに、レイプ被害者にセカンドレイプして喜んでいるような人物や、青識亜論のように、言葉巧みにヘイト容認を誘導するクズや、借金玉の如くリベラルに因縁をつけて〆ようとするヤクザや、勝ち組のオタクが負け組のヤンキーに税金を払ってやるのは不公平だとか、さも自慢げに話す高崎線駅名の某さんのような輩に、都合のいい環境を構築したのではないかと思う。その、製造責任の全てを東一人に負わせるのは酷過ぎるけど、こいつら人文ドブネズミ共の言動の至る所に、東浩紀的な「影」が、チラホラと見える気がする。


リバタリアンオルタナ右翼の連続性はどこかで指摘されていた気がするが、東本人もポストモダンに挫折して、その後過激なリバタリアンに転向した典型であり、彼らの思想がどこかネトウヨと近いのも偶然ではない。また、21世紀型の個人主義が、排外主義的なナショナリズムと接続するのも、どうやら世界的傾向であるようだ。今のサブカル評論の流行りを見ても、日本スゴイ系的な自文化中心主義的な言論が受けている。そういう意味で日本のリベラル層は、オルタナ右翼化したといってもいい。しかし長い目で見れば、その予兆は、既に00年代から現れていたものだし、東浩紀一派がその精神的潮流を準備したことも明らかであろう。


まあ、最近の界隈を観察していても、過去に自分たちが唱えた言論に裏切られてあたふたしている様子が見られる。だけど、一度走り出した列車は止まりそうな気配がない。かつて東とタッグを組んでいた宇野常寛は、落合陽一のようなオルタナ右翼と一緒に小泉進次郎を招いてセミナーを開催するようだし、今どきの売れ線批評の9割は、ゼロ年代批評以降の思想と批評のネオリベ化とリバタリアン化を何らかにバックに持っているはずである。杉田水脈も、その鬼子の一人であると受け止めるべきなのだ。


しかしまあ、本当の「思想と批評のジェノサイド」が必要だと思う。