オウムの危険性を見抜けなかった知識人と在特会の危険性を見抜けなかったサブカル批評界

オウム事件の主犯格が処刑されたことで、あらためて当時を振り返る話題がTLに溢れているけど、オウムの教義に最も影響を与えたとされる中沢新一に、誰も突撃インタビューをしないのは何故なのだろうか。


むろん、中沢新一だけが悪いわけではないが、当時の宗教学者がオウムに対してなあなあな態度を取っていたり、吉本隆明のような知識人ですらオウムを称賛していたんだから、総体的にいって当時の知的状況とオウムに何ら関係はなかったとはいえないだろう。少なくとも、オウムを後押しするような空気感が存在していただろうことは類推できる。


しかし、このような知識人の油断は未だに断たれているものではない。例えば、当ブログでも繰り返し言及している、在特会による京都朝鮮第一初級学校襲撃事件時における、福嶋亮大の反応を再掲してみよう。





予め断っておくが、別に福嶋だけがこのような突き放した反応を示していたわけではない。東浩紀から影響を受けたポストモダン派は、概ね在特会寄りでリベラルを批判する発言を繰り返していた。藤田直哉ですら、当時はネトウヨを擁護する言動が目立っていたと思う。例えば、宇野常寛小林よしのり萱野稔人らが対談した『ナショナリズムの現在〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来』では、萱野は「私は、「ネトウヨ」と言われている人たちには、真っ当なところがあると思っています。」という発言をぶっちゃけ、宇野はリベラルを挑発する目的で「前後の文章から特定のフレーズを切り出し、悪意を以って脚色してあいつはヘイトスピーチを肯定したのだ、というまったく逆の意見を捏造して僕たちを血祭りに上げようとする動くが出てきてもまったく不思議ではない。」というあとがきを寄せている。しかし、本書の内容が、小林よしのりを接待してリベラルを叩く内容であるのは、読んで頂ければ一目瞭然であろう。


まあ、藤田直哉は改心したように見えるけど、宇野常寛に関して言えば、落合陽一のような“デジタル真理教”みたいな、胡散臭い山師と付き合っていたりと逆に劣化しているし、萱野稔人ドナルド・トランプを絶賛するし、小林よしのりネトウヨを生み出した責任から逃げ続けていたりと、当時と今でサブカル評論家が劇的に変わった様子はない。むしろ震災を経て、オカルト的な神がかりと空虚なポジティビティズムにますます頼るようになった感じがする。


しかし、宇野常寛について言えば、オウムのようなオカルト的想像力がデジタル技術に入れ替わっただけで、本質的には何も変わっていない。萱野稔人や三浦瑠麗は、オウムに忖度していた当時の宗教学者の姿勢そのものであり、小林よしのりはオウムから逃げ続けている中沢新一である。東浩紀はもっと最悪で、自分が憎悪しているリベラルや左翼を貶めるために、ネトウヨを利用してきたんじゃないかと思う。


結局、オウムの危険性を見抜けなかったどころか、それに加担した当時の知識人の影は、未だに現在のサブカル論客にも受け継がれているように見える。そして、うっかりネトウヨを正当化するような理論を、社会に散布し続けているのである。そういう意味で、00年代〜10年代のサブカル評論界隈は、正しくニューアカの継承者であり、またオウムの末裔でもあるのだ。




↓それから、23年…。

※果たして今の人文系にオウムの教訓は受け継がれているといえるのだろうかね??? まあ、籠原スナヲだけでなく、青識亜論や柴田英里も当時なら“信教の自由”を掲げてオウムを前面擁護していたんだろう。そういえば、オウムは青識やスナヲの好きな自由市場主義の勝者でもあった。まあ、日本の人文系なんて人殺しに加担しておきながら「ボクは関係ナッシング」とか切断処理した上で逆ギレしてくるクズ集団だとしか思ってないからどうでもいいんだけど。でもこういう連中が読んでいる本なんて、バーベキューの燃料にでもした方がまだ有益な使い道なんだろうと思う。