ギロチン

F@CK ポストモダン

萌えって政治的に抑圧されたものの副産物なんじゃないか?

まあ、萌えって単語自体が既に死語になりつつあるけど、でも大陸中国でのアニメ文化の隆盛を見るに、もしかしたら萌えって、宇野常寛的な母性のディストピアではなく、政治的言論が封殺されている結果の副産物じゃないかって、ふと頭をよぎったんだよね。


たしかに、韓国にもアニメ的な絵師は、多く存在するけど、でもビリビリ動画にアズレーンみたいに、中華圏のアニメ産業の方が熱い感じが伝わってくる。もちろん中国にも、アイ・ウェイウェイみたいにパンキッシュな現代アーティストはいるし、政治的な反抗を試みるエンターテイナーはいるが、韓国と違って政治に文化を持ち込む自由がある感じでもない。


むろん、本邦でもカルチャーに政治を持ち込むな、みたいな下からの同調圧力はかなり強い。特にオタクカルチャーは、未だにその傾向が強力だし、現実の社会問題や政治性を取り入れつつある実写ドラマ周辺と比較しても、そのコントラストは明確であると思う。だからといって、オタクカルチャーは全然ダメだというわけでもないが、だけどその差が後々に響いて、今の実写に対するアニメ(的なもの)の優位、みたいな構造が覆る可能性が無いわけじゃない気がしないでもない。


何でこんな事書いたかといえば、昨日見たダリフラがあまりにも酷いと思ったからなんだよ。本編で、今の子供部隊が着任する以前に存在した子供部隊が全滅したことが示唆されて、それに一同が凍りつくシーンがあるんだけど、でもいつまで「子供」というイノセント化された存在を犠牲にすることで湧き上がる、感動ポルノまがいのメランコリックな感情を消費させる、手垢にまみれた手法に頼ろうとするんだよって。これを作っている大人が、作中の子供を殺すことで、自家中毒的なメランコリズムに浸っているんだとしたら、気持ち悪いといったりゃありゃしない。まあ、アニメに関わらず、ある種の「大人」が、安全圏から「子供」を捨て駒にするのは、近代腐れジャップ文明の政治的伝統芸でもあるし、社会統制技術的にも完成されているディシプリンではあるんだろうけどね。


それでも、よりもいみたいに大人と子供が葛藤をぶつけ合って、共に成長していこうとするものもある分、まだどこかに救いは残っているのかもしれないけど。だけど、戦場で健気な子供が生贄に差し出されるのを見て、メランコリズムを消費するオタクの大人とかがいて、未だにそのオタク的な気風がよしとされているのって、流石にどうかと思うんだが。例えば、艦これにおける艦娘だって、普段は提督の肉便器係をしつつ、深海棲艦と戦っているって設定なんでしょう?たぶん。まあ、日常的であることも十分政治的であると思うんだけど、そこで非政治・政治(虚構・現実)の境界を巧みに分離することによって、抑圧されるグロテスクなものがやっぱあると思うんだよ。


例えば、実際に日本の萌えカルチャーが、向こうのalt-rightの象徴に利用されているわけだし、そのこと自体、クールジャパノロジーが価値中立性に耐えられなかったことの証左だろう。例えば、オーストラリア、メルボルン在住のalt-right系アーティストLushsuxによる、プーチンあずにゃんのイラスト↓とか、別に日本のオタクに責任を被せるわけにもいかないけど、だからといって、今のオタク文化ネトウヨalt-rightを排除する仕組みや、批判力が十分に備わっているわけでもない。


Lushsuxのインスタ https://www.instagram.com/lushsux/?hl=ja


その、どうにも煮え切らないものを一切視界から排除した上で、クールジャパンの可能性とか言っても不毛じゃないかって思うんだよね。キズナアイが日本のヴァーチャル観光大使に就任したとか何とか騒がれているけど、結局そういう国家主導のイデオロギーの掌で浮かれているか、その状況を自分から切断処理した上で、例え明日戦争が起ころうとも、オレは最後までアニメを見てラノベを読むぜ!!みたいに、ダラけた態度に居直っているだけじゃないの。まあ、ポストモダニズムニューアカなんてクソだってことだよな。