ギロチン

F@CK ポストモダン

まあ、甘えているだけだよね。

落合陽一さんのネット番組がちょっとしたツッコミネタとしてバズっているっぽい。

ken-horimoto.com

こうやってせっかく笑えるネタにしたのものにマジレスしちゃうのも気が引けるが、ここで言われている戦後日本がうんちゃらかんちゃらって、つまり日本人が政治的な主体性を持てないのを、敗戦やサンフランシスコ体制のせいにするという、この手のインテリ知識人にありがちな議論である。無論、それはインテリが自分の政治性を放棄するための言い訳でしかない。


少なくとも、70年代までの日本は厳然たる身分制・階級社会であり、上尾暴動や成田闘争のようにデモやストライキが頻発していたという意味では、まあまあ政治的な社会であったと言えるはずだ。おかしくなりはじめたのは、80年代のバブル景気以後であろう。


結局、宇野常寛や落合陽一にせよ、日本をアップデートするとかいって、80年代~90年代の消費者主義的な気分の日本を延命させたいだけなんだよね。彼らが使っているレトリックも、繰り返されてきた80年代ニューアカの焼き直しでしかない。それすらも擦り切れまくっているから、ああやってネタにされているのである。


まあ、戦後日本(戦前日本も含めて)を、ある種の擬似的な”父(母)”に見立てて、自分たちが政治的に成熟できないのをその父母のせいにするという、アダルト・チルドレンごっこをやっているだけってことだ。しかし、(時には苛烈な暴力も厭わずに)いかに政治的に行動していくかというのは、日本の歴史や民族的運命によって左右されるものではなく、それこそ己の実存と主体を掛けて決めるものである。「サンフランシスコ体制とアメリカが~」とか「憲法九条が~」というのも、それもまた卑屈な知識人の甘えでしかない。


未だにこういう浮ついた知識人やメディアが跋扈しているわけだが、真に日本をアップデートしたいのなら、まずはこういう知識人どもやコイツラを重宝しているメディアや出版業界をガス室送りにするところから始めなければならない。