ギロチン

F@CK ポストモダン

呉座勇一『応仁の乱』

最新の研究に基づいた日本史の良質な新書が立て続けに出ているので、これを読まなくてもいいかなと思ってたけど読んでみました。


まあ、この著者も與那覇潤並に嫌味な冷笑系っぽいのであまり好きじゃないんだけど、読んでみたらなかなか面白かった。


予想していたものと違って、従来の説を新説で覆していく爽快感ではなく、応仁の乱を生きた興福寺の高僧、経覚と尋尊の日記に基づきつつ最新の研究を織り交ぜながら、乱の全体像を再構成していくというもので、ある種のルポルタージュ的な面白さを感じた。また、それぞれの人物像や行動を、冷たく淡々と突き放して推測していく著者の独特な語り口もいい。


社会学現代思想が下火なのと反比例するように、日本史ものの元気がいい感じだけど、これも時代への反動なんだろうか。古代~中世史だけでなく、明治時代以降の近現代史も批判的に考察する新書もそろいはじめているようだし。


那覇潤がまだ現役だった頃は、歴史学ポストモダン的なものに毒されていたのかなと思っていたけど、最近の日本史もの新刊ラッシュをみたらそうでもない感じなんだろうか。與那覇は日本的なものの不可能性の壁にぶち当たって廃業してしまったわけだけど、呉座は、辛抱強く解剖していくことでその壁を取っ払っていこうとする勢いを感じなくもない。


だから、ポモ系の文学青年や人文系って実証性やディシプリンをバカにする傾向があるけど、しかしされどなんだよね。また呉座のクレバーさは、おそらく実証性の限界をよく分かっていて、けど政治的党派性や感情的なニヒリズムにも煩わされずに、その時々の歴史上の人物や事象を軽妙なタッチでツッコミを入れていくユーモアセンスにあると思う。それは、前作の『一揆の原理』や『戦争の日本中世史』でも、いかんなく発揮されていた気がする。


まあ、ポストモダン批評や社会学が経済的苦境と同時に追い詰められているからこそ、日本史みたいな地味な分野が脚光を浴びている状況はあるのかなと。だけど、(嗤う)日本のナショナリズムなんかよりも、さらにシニカルでユーモアがあるこちらの方が、知的に真っ当じゃないかと思う。