勝共連合に接近した松浦大悟さんとゼロ年代批評

松浦大悟さんが、保守のLGBT支援のために統一教会がらみの組織に接近したようだ。まあ、寛容と中立性の意味を履き違えるこの手の御仁にありがちな行動である。


そういえば、松浦さんって一時期ゼロ年代批評界隈とも親しかったような気がするんだけど、しかしある意味、震災以後、急速にスピリチュアル的なものに近づいていったゼロ年代批評と瓜二つでもある。


前田敦子はキリストを超えた』から、イケダハヤトや、落合”シンギュラリティ”陽一みたいなサブカル評論の流れって、合理主義と未来科学主義の意匠をまとった、ある種の神秘主義回帰であると見るべきである。


その源流は80年代のニューアカであるが、ニューアカにおけるフランス現代思想の影響や理性主義が吹き飛ぶと、神秘主義にオカルトという負の側面しか残らなくなる。その悪い部分があからさまに露出しているのが、今のサブカル評論系の流れみたいな感じがする。


だから、松浦さんが統一教会に接近してしまったのも無理はないのかもしれない。イケハヤ、箕輪厚介、落合陽一、ホリエモン家入一真といった面々にせよ、自分は出来ると思っている自称中立系ほど、ムー的なオカルトを介さないオカルティズムに嵌っている感じであり、それが現代のサブカル評論系の潮流なんだろうから。


いわゆる”ゼロ年代”は、弱肉強食のサヴァイヴァルバトルの時代だった。だが、サヴァイヴに疲れ果ててしまったその担い手たちは、神秘主義という禁断の果実に手を伸ばしてしまったのである。


でもたしかに、現実の問題とか矛盾を一切無視して、身の回りにあるモノや現象を神秘主義的に置き換えてしまった方が、食いつく人は多いだろうしね。


しかし、宇野常寛さん周辺にせよ、グローバリズムと日本の市場社会の実態をよく考えないまま、ただそれに身を任せていればいずれバラ色の未来がやってくると煽るのはイージーすぎやしないかね。しかも、日本の場合はそれが極右とも結託しているのが不味い。


多分、宇野常寛さん一派も近いうちに極右に吸収されていくんじゃないかと思うし(宇野さんは江藤淳譲りのゴリゴリの反米右翼くさい)、価値中立主義者や市場主義者がこぞってネトウヨ化しているのは、そういうことなのだろう。