ギロチン

F@CK ポストモダン

むしろ文系も狂っている

藤田直哉さんが、キクマコ周辺みたいな脱原発派アンチクラスタに憂慮しているけど、でも理系よりも文系の方が震災以後壊れていったんじゃないかな。

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キクマコみたいに直ぐに馬脚を現すお馬鹿さんはツッコミどころ満載だからまだいいけど、でも開沼博なんて言葉巧みに原発体制の擁護にまわっている分さらにタチが悪い。


それだけでなく、萱野稔人なんてトランプや共謀罪を擁護するし、栗原裕一郎は経済政策だけで「実は安倍政権はリベラル」とか発言する始末だし、宇野常寛は落合陽一やイケダハヤト、箕輪厚介らと付き合いだしてから見事に悪徳情報商材屋へと成り果てた。


端的に言って彼らは震災以後という圧倒的な現実に耐えられなかったのだ。また、そうしたところで消費されるサブカル的人文知も、少しでも震災のショックを和らげ、そのダメージから逃避するためのドラッグやファンタジーと化した。


その人文知の総白痴化の影響は計り知れない。大学院で政治哲学を学んでるような奴が「少子化対策のために男女雇用機会均等法を廃止せよ」とか言ってたり、また同じく院で吉本隆明江藤淳を研究していた、坂上秋成とも近いとある人物が「勝ち組オタクが負け組ヤンキーのために税金払ってやるのは不公平」だとか「資本主義がフェミニズムを発展させた」*1などと、真顔で言っていたのを目撃した。


今の人文知のシーンは、とりあえず左翼っぽく見られないための小手先の詭弁と話術だけが異様に肥大化しているような感じだ。だけど、そういう人文系のムードが、オルタナ右翼的なリバタリアニズムや弱者冷笑趣味のようなものに引き寄せられているような感じがある。


ドゥルーズデリダといったポストモダンは、今やそういう邪悪な思想の入り口になっているのである。実際に、ネットのポストモダニストほど、ネトウヨやヘイトの自由を擁護し、それを批判する左派やリベラルを攻撃していた。なかには、開かれた自由市場が自動的にヘイトを解消するとかいう珍説を開陳している者もいたが、しかし、そういうものを鵜呑みにしてしまう人は多いのである。


まあ、端的に言って、今どきポストモダンや中途半端な人文学を志す奴に限ってバカばかりなのだ。そして、アンチ・オイディプスやカンタン・メイヤスーなどに嵌っていけばいくほど、レイシズムと冷笑に接近していくし、本人のその心理的欲望を押し止める手立てはない。


これは別に哲学思想・文学畑に限らず、リフレ派のような経済学もネオリベネトウヨみたいな連中に占拠されているらしいし、既に日本の人文知は壊滅状態といっても過言ではない。サブカル論壇周辺にしたって、落合陽一やイケダハヤトみたいな山師がスーパースターになっている状況である。そんなの読むヒマと時間があるぐらいなら、ラノベ千冊読んだ方がよっぽど知性を鍛錬する血肉となる。


どうやら日本の人文系の大勢は、安倍政権的なものと、消極的な現状肯定に傾くことを決断したらしいけど、それは不毛だと思うし愛想笑いを浮かべてついていく義理もないので、安心して背を向けていきたい。

*1:ソ連の女性参政権が1918年。ニュージランドは1893年、オーストラリアは1902年と宗主国よりも早い。