サブカルヒエラルキーの崩壊と、弱者男性のモンスター化

「あるネット炎上芸人が#metooハッシュタグでセクハラ告発キャンペーンを始めた」「← いやこいつも童貞弄りでオタク差別を煽ってきただろ」「← キモオタだって女性を女性器の名称で茶化したり、上坂すみれを集団ストーカーで嫌がらせしてきただろ」。という、終わりのない女性と弱者男性の闘争が勃発しているようだけど。


しかし、スクールカーストなどの疑似的ヒエラルキーが衰退したのと入れ替わるように、格差や貧困に人種や民族、ジェンダーといった未だに残る古典的なヒエラルキーの差別構造が浮上するようになったってことではないだろうか。少なくとも日本では、スクールカーストサブカル的なヒエラルキー構造は、急速にその象徴性を失いつつあるように感じる。キモオタ男性がフェミニズムや女性に攻撃の矛先を向け始めているのも、サブカル的な差別構造は有名無実化しても、その遺恨だけは根深く残っているからだろう。


しかし、最近の女性(LGBTも)の人権意識の高まりも、世界的な男性主義の衰退と連動していると思うけど、その男性主義的な社会構造の上で許されてきたことが急に許されなくなりつつあるんだから、そりゃあちこちで衝突は起こるよなって、どちらにも加担する気がない身としては、無責任に思うけどどうなのだろうか。まあ、弱者男性文化なんてものは、特に都合のいいマッチョ願望が根底にあるんだから、女性の象徴性からネオテニー的な「少女性」幻想が抜け落ちて、自己主張する「大人の女」だらけになるのは耐え難いのだろう。だけど、オタク男性的な理想の女性観のベースが、80年代的なものからさほど進歩していないことの方が異常だったのかもしれないけど。


だから、艦これとかアイドルブームって、やりたい時にやらせてくれて、ピンチの時には駆けつけてオレを守ってくれる、という日本人男性的なファンタジーの最後の砦って気もする。その文化が終われば日本人男性も、自己主張する女と向きあわざるを得なくなるのだたぶん。なので、今日本のネットで勃発しているジェンダー戦争って、既に消失しつつある少女性のイメージを巡る攻防戦なのかなって思う。でも女子が自己主張し始めたことで、社会から少女性的な幻想が消滅してしまうからって、女子に八つ当たりするモンスター弱者男性もどうなんでしょうかね?