ノンポリは強い政治的な批判勢力にはならない。

またまたこの記事の続きだけど。


ここで言われている、「政治と文学」 と、「市場とゲーム」 って、対立するものではなく、相関するものだと考えたほうがいい。すなわち、政治と文学が衰退すれば、また市場とゲームも劣化するのである。だいたい、実体としての日本の市場規模も年々衰退しているし、そこで行われているゲームもますますしょぼくなっている感じではないだろうか。


まあ、バブル期から3.11ぐらいまでは、政治から切断されたところで、延々と市場とゲーム(消費とコミュニケーション)に興じられていたのかもしれない。でも、このネトウヨの時代に対して、市場とゲームの倫理に裏打ちされた、ノンポリのオタクやサブカルネトウヨでもサヨクでもない、オルタナティブになっているかといえば、微妙だろう。


それに、彼らが危機感を持つほど、文化人が政治的に左派旋回しているように見えないし、世間もインテリも、マジョリティはノンポリのまま平常運転しているように思う。だから、わざわざノンポリたるべきだと、さも誇らしげに訴えかける意味なんてあるんだろうか。


そうでなくても、政治的な主体性を欠いた日本のサブカルチャーに、いまさらグローバルなコンテンツ力はないことは、コリアンカルチャーのグローバル的躍進と、中華マネーが日本を飲み込みつつあることを見れば、分かりそうなことだと思うんだけど。AKBが、K-POP的なものへの有効的な批判力になるかって? なるわきゃねぇだろうっていう(笑)。政治的なものへの無菌状態に、ネトウヨ的なものが感染して、再起不可能なほどにズタボロになっているのが、10年代・日本メインストリーム・カルチャーの実態であると思う。


例えば、欧米のオルタナ右翼アニメアイコンの多さを見たって、日本発のオタクカルチャーも、決して政治的な価値を中立化するものでないことを、証明したんじゃないだろうか。無論、その罪はオタクにないけど、それらを遠ざけられる主体性が、オタクカルチャーの中にある感じでもない。だから、思想的にもクールジャパンなんてものは、とっくに死んでいるといってもいいのだ。


まあ、日本のサブカルチャーなんて、ネトウヨが暴れまわっている傍らで、それを黙って見過ごすことしかできないのだ。そのくせ、ネトウヨとケンカする勢力が現れると、ネトウヨの肩を持ってそれらを全力で潰そうとする傾向がある感じに見えるけど(笑)。


でも、ぬるま湯のナルシズムに浸かりながら自己啓発するのでなく、自己嫌悪と復讐することで、何かを乗り越えるべき時期にあるんでねぇかね。