市場の論理はヘイトを解決しない

前回の記事の補足だけど。


なんか、政治と文学よりも、市場とゲームの方が、より開かれた民主的プロセスであるかのようなニュアンスに聞こえるけど、しかし、それも市場に合わせて政治が縮小したのではなく、政治が意図的に介入したことによって、市場が膨張&政治が縮小したに過ぎないのは、サッチャリズムレーガノミックスを持ち出すまでもなく、また我が国も同じである。逆にいえば、市場の規模縮小に合わせて、政治が膨張する可能性もあるし、いずれにせよ市場は政治に従属するものでしかなく、それ単体で存続できるものではない。


まあ、市場とゲームとは何かが漠然とし過ぎてイメージが掴めないけど、宇野さんの本を読むと、マーケットとゲームへ参加する気さえあれば、誰もがゲームマスターになって現実を支配できるチャンスが与えられるかのような言い草なんだよね。だけど、そんなのザッカーバーグぐらいまでになればまだしも、ホリエモン程度でも無理だったし、どんだけ無理ゲーなんだよっていう(笑)。そのザッカーバーグやグーグルですら、未だに中国を支配出来ていない。


だがしかし、最近の人文系界隈では、こういう素朴な市場万能論と古典的な自由主義への信仰が強い傾向があって、青識亜論さん(とそのお仲間たち)なんかも、レイシズムの問題は、市場の自由競争に任せればそのうち解決するなんて主張しておられる。


だけど、市場でも、政治的にもネトウヨの勝利が続いている状況のようだけど、彼らはそれでよしとしてしまうんだろうか。まあ、彼らから見ると、ヘイトを市場の論理ではなく、政治的に解決しようとするのは、公正さから外れた重大なルール違反なんだろうけど。しかし、ありもしない言論の自由市場とかを信奉していたり、資本主義があらゆる差別を解消すると考えるのは、あまりにもナイーブ過ぎる。


まあ、そうでなくとも、市場のルールで勝ちさえすれば、いくらでも差別したり、フェイクニュースを垂れ流してもいいってことなんだろうか? いや、そんなこと言ってないのかもしれないけど、彼らの論理からそれを否定するものは伺えない。


むしろ、かつてよりも資本主義が発達したことで、差別や格差の問題が再浮上したからこそ、それらを政治的に解決しようとする機運が高まってきただけのことであり、またそれも、市場の競争に任せた結果に過ぎないし、別に市場や資本主義の発展を妨害するものでもない。そもそも、先に書いた通り、市場は政治に従属したものでしかなく、市場かそれとも政治かという問い立て自体が、議論の目眩ましを目的とした擬似問題でしかないのだ。


宇野さんの話に戻ると、青識さんほど原理主義的でないにせよ、また彼も素朴に無限の市場の論理を信じている側である。それに、どうやら左派よりもネトウヨの方が、現代の市場主義に適応したニュータイプであると想定しているようなフシがある。彼が左派に偏見を持っているのもそういうことだろうし、また適切に説得できれば、ネトウヨ的な主体性を、彼らが考えるユートピア社会に導けるかのように考えていそうなことは、このインタビュー記事と本を読んでみれば伺える。まあ、彼が想定する、市場とゲームで勝利しているように見えるから、ある種のシンパシーを抱いてしまうのも無理ないが。


それに、未だに小林よしのりと馴れ合っている時点で、いろいろと察するべきなんだろうけど、これは宇野さんだけでなく、ゼロ年代批評系の論客に広くみられたものだと思うし、またネットで批評をやっているその後継者たちが、オタクとヘイトの関係にまるっきし興味なさそうなのも、そういう影響があるんだろう。


でもオタクとネトウヨの関係は、今や切っても切れないと言ってもいいはずなのに、それを問わなくてどうするんだという思いはずっとあるんだけどね。