日本ポストモダン派はナチスに抵抗できないハイデガーそのものである


こうやって反応するのもあれかなと思ったけど、心のなかでギスギスしたものを溜め込むのもよくないので書く。


例によって柴田英里と青識亜論というツイッター界の「知の巨人」二名が、コンビニのエロ本を撤去するしないでグチグチ文句を垂れているんだけど、いやでもあれって別に100%エロを規制するとかいう話ではなくて、単に配慮してくれとごく当たり前の要請しているのに、それを「フェミニストによるエロ弾圧」「ただ不快だから排除するのは不当だ」とか不必要に主語を膨らませて詰問しているのってどうなんだろうね?しかも現代思想とかフェミニズム理論を学んでいるのに、そのレベルのことも理解できないのだからイカれている。(あ、これポリコレ的に不適切な表現かな?


そんなことよりも、地毛を不当に黒髪に染めさせたゴミ教師と学校について騒げばいいと思うけど、だがしかし東浩紀に影響されたような日本ポストモダン派は、いわゆる弱者に内在する暴力性や権威主義をあぶり出して論難するのは得意だけど、逆に誰の目にも見えるあからさまな権力やパターナリズムには忖度する傾向があるので、今回もやっぱり沈黙している人が多い。そこは彼らの仇敵である左派やリベラルと住み分けているのかもしれないが。


だけど、まあツイッター上で早朝5時までに及ぶケンカをした挙句相互ブロックした関係だし、トラブったある人との逸話をカミングアウトするけど、フェミニズム理論や現代思想を学んできたような人が、森友学園の教育は私立だったら問題ないとか発言していたのはビックリしたし(しかも教育関係者を自称しておきながら)そうでなくても、何故かあんな胡散臭い夫妻のために国有地が不当に値引きされて、しかも首相を始めとしてその調査に政府が及び腰という疑惑の構造を理解できていないのもヤバイ。


それ以外にも、「トランプより安倍の方がマシだとか」「日本の方がアメリカよりも近代国家として成熟する可能性がある」「進化論をまともに教えている日本の教育はアメリカよりも優れている」とか妙な反米傾向があった。


でも実際は、安倍の方がトランプよりも残忍な独裁者だし、根深い黒人差別や銃による猟奇大量虐殺はあれど、政治的アティチュードの表明を躊躇わないアメリカの方が成熟した民主主義国家なのは自明だし、進化論は教えるけど地毛を無理やり黒髪に染めさせたり、「江戸しぐさ」を本気で教えている日本の教育も十分野蛮である。


しかし残念なことに、その人でも一億二千万いる日本の人口の内でも上位5%に入る選良なのかもしれない。だが上であげたようなことすらキチンと認識できない現状が日本の文系の一端にあり、そんな人が知的アイドルとしてツイッターでチヤホヤされて、何百何千アカウントとバカを拡散させていく恐ろしい構造があるのだ。


だけれども、その人だけに責任を全部おっかぶせるのも違っていて、分かりやすい左翼とかフェミニズムに反逆することだけに特化された、ここ十数年の知的ムードとサブカルの犠牲者なのかなとも思う。批評や思想ゴッコをやっていた上の世代の馬鹿さ加減が、それよりも下の世代にしわ寄せしてきているのかもしれない。


例えばスクリーンショットを貼ることは避けるけど、藤田直哉が「伊藤詩織さんと山口敬之さんの問題。両者の手記をある程度読んで、少し思うことは、これは、どちらか、あるいは、両者が嘘をついたとして、事実や決着はどうあれ、かなりの第三者の大勢がセカンドレイプ名誉毀損に加担した加害者になるということだね。そのことそのものが、恐ろしいことだね。」とか、まだ事件の全貌が解明されていない段階でこういう予断をしていたのにも呆れた。これではまるで、事件の真相を解明することに意味はないとでも言いたげではないか。だけどこの事件の本質だって上から何らかの力が動いて揉み消されたという、単純な上から下への権力の問題であって、外野でそれを論じている第三者によるフーコー主義的な権力の両義性とかいう複雑な話ではない。


しかし、それでもある世代から侵されているポストモダン病を完治するのは難しいのだろう。いやポストモダン言いすぎるのも、あらゆる表現規制フェミニストや左翼のせいにしている青識亜論や柴田英里っぽくて嫌だが。けどネット言論の一部ポストモダン派やスノビズムが、左翼やリベラルを叩くツイッター言論ゲームをすることだけに特化しすぎて、それ以外はガバガバになっているのはたしかでしょう。別に大きな物語の空白地帯にタコツボが乱立して争っているのではなく、巨大な権力を握った大きな物語が、それらを再び統制しようとしているだけである。


けれどもウヨサヨという二項対立に寄らない第三軸がオルタナティブとして機能しているか疑問だし、東浩紀にしたってやっていることは、ネトウヨを周回する衛星にしか見えない。こと政治に進出したゼロ年代批評界隈は、ほとんど与党精神をアシストするものにしかなっていない。とりあえず界隈の言論に、空白化したリベラルを埋め合わせるほどの強度があるようには思えないだろう。


まあゼロ年代界隈や冷笑系にせよ、その言論は「現実」ではないある種の神秘主義のように見える。つまり市場競争主義の下で、完全無欠の自由と平等を達成しようという未来永劫存在するはずがない幻想を追い求めているのであり、かつての浅田彰中沢新一、あるいは村上春樹といった面々が80年代当時の日本的な消費社会を神秘化しようとしたことの劣化した反復でしかない。


だが「動物化」「クールジャパン」もしくは「中動態」等どういう形態であれ、ポストモダン派やサブカル評論に見られる言論は、未だその倫理に強く縛られているように思う。しかし日本的な市場原理消費社会とその言論は、結局ネトウヨ的なイデオロギーに敗北したどころかその勝利に貢献しただけなのだ。かといって、いまさら既に確立した無数の小さな物語とタコツボの境界線を撹乱して、彼らを政治にオルグする気もないし不可能だけど。


いやしかし地毛を不当に黒髪に染めさせたり在日コリアンが差別されるよりも、コンビニに陳列されているエロ本をゾーニングすることの方が不当な人権侵害だとかギャーギャー喚いている一部文系のノータリンで醜悪なセンスって何なんだろうね。彼ら彼女らは、イデオロギーの抑圧から自由だと信じているのかもしれないけど、とりあえず左翼やフェミニストを叩いていればもっともらしく賢らぶれるネットの知的風土に追従しているに過ぎない。


まあそれでも、誰から見ても無理がある原発擁護のキクマコ先生みたいなトンデモ理系はまだ笑えるからいいけど、三浦瑠麗みたいな知的意匠を纏った反知性主義者が大手を振って歩ける文系の方が危機的な状況じゃないかという気がする。