ストロングゼロはヘロインである

日本では大麻が解禁されない代わりに、アルコールが実質的な代替品になっている。若者の間でストロングゼロがブームになっているのも、手軽に酔えてしかもひとときの現実逃避を味わえるからだ。例えば、オタクの間で浸透していそうな強アルコール飲料✕週末の深夜アニメ鑑賞というライフスタイルは、ある意味、合法的なトリップ体験みたいなもんだ。

しかし、ストロングゼロの流行は、確実にアルコール中毒患者を急増させるはずだ。缶チューハイに限らず、ブラックニッカのペットボトル4Lがそこらへんのスーパーで売られていたりと、日本はアルコールに対する誘惑に甘すぎるであろう。

それだったら、大麻を解禁した方がいいんじゃないのかね? 大麻の依存性の方がアルコールと比較したらまだ軽いであろう。逆にアルコールは依存すればするほど肝臓を壊死させていくだけでなく、鬱になりやすく自殺にもつながる。アルコールはダウナー系のドラッグみたいなもんで、人を幸せな気分にはしない。

どうせ、この国の政府は人民を野垂れ死にさせる気だろうし、その代わりとして大麻を解禁するのは、ある種の福祉であるんじゃないかね? 少なくとも、ストロングゼロによってDVや鬱自殺、人工透析患者で医療費を増大させるよりもずっとマシなはずだ。

ふるさと納税はいかに日本の「ネオリベラリズム」がレベル低いかを示すゲス制度

ふるさと納税という制度がある。地方の市町村に寄付して返礼品をゲットして、しかも税額控除も受けられちゃうというお得な制度である。まあ、ふるさと納税したところで、控除される税金の額なんてたかが知れているので、どれくらいメリットがあるのか疑問符がつくけど、返礼品を貰えてしかも税金が安くなると何も考えずに寄付してしまう人が多いのであろう。

この制度自体が、増税の根拠を疑わしくしている気もするけど、いかにも日本のお役所や政治家が考えそうな軽薄な仕組みである。しかし、返礼品として地方の特産品が送られるならまだしも、普通の清涼飲料水とかが送られてくる時点で(?)となるし、挙句の果てにこんなものまで送られてくる始末である。

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納税先に本社があるならいいじゃんってことかもしれんが、だが寄付とは名ばかりの税額控除でお買い物という普通の感覚からしたらこれどうなん?と思わざるをえない。日本のサブカル学者はバカだから「別にいいじゃん」とか半笑いでヘラヘラと言ってくるのかもしれんが、こんな小手先の制度で地方創生とか言う前に、教育とか公共政策やら税金の優遇措置など、他に手をつけるべき余地はあるだろう。

しかし、頭の足りないノータリン・ネオリベ官僚が、ふるさと納税で競争原理を働かせて地方活性化を狙ったのだろうけど、所詮、その場しのぎの応急措置にもならなさそうなことは、やる前から気づくべきであろう。日本人がアメリカ流のネオリベラリズムを真似たところで「しんじゆうしゅぎ」にしかならない。こんな、ゴミ民族はとっとと人類史の闇の彼方で消滅してしまえばいい。

オタクは単に重箱の隅をつつくような批判が得意なだけ

オタクが情報社会を生き抜くニュータイプだと本気で信じられた時代もあったわけだが、ネトウヨ社会に対する不気味なほどの適応と、フェイクニュースオルタナ右翼の発信源だと発覚したうちに、その期待もあっさりと捨て去られた。まあ、引用ツイート先にもある通り、岡田斗司夫にしろ唐沢俊一伊藤剛にせよ)、単にタミヤの組み立て説明書に書いてあるうんちくを字面通り覚えるのが得意なだけの連中だったってことだ。その世代であれば、おそらく家に百科事典全集が置いてあって、毎日それを繰り返し眺めるのが教養だと勘違いしたのであろう。しかし「カタログミリオタ」で有名な某JSFさんが、中東の専門家に完全論破されたように、教養とは別に百科事典に書いてある説明を一字一句記憶することではない。

しかし、教養どころか知識すら持ち合わせていない、今どきのキモオタにもその精神性は受け継がれているのだろう。まとめサイトの煽り記事やコメント欄を見れば分かる通り、ああ言えばこう言う的な重箱の隅をつつく揶揄と冷笑で、弱者を潰していくグロテスクな光景が日常化している。しかし、そういうのも、かつて唐沢俊一村崎百郎というサブカル界の産廃が「社会派くん」でやってきたことのコピーなのである。唐沢俊一とか「社会派くん」で、いじめ自殺者に対しておもいっきり「死ね」と嘲笑を浴びせていたしね。

まあ、資本主義と情報化に適応した存在だった「はず」のオタクが、実際はフェミニズム化やポリコレに驚くほど鈍感で、むしろ80年代~90年代に退行しているし、情報教養主義的なオタク像は、歴史的な経緯をたどったとしても、既に破綻しているといえるかもしれないね。

創価学会員と普通の日本人が分断される未来ってありえるよね

選挙期間中に不謹慎なこというのも不味いけど、今後50年の近未来に普通の日本人と学会員の対立が顕在化する可能性はありえると思う。(表立っては言わないが)ほとんどの野党支持者は、おそらく学会員のことを快く思っていないだろう。自民党太鼓持ちをしているカルト信者ぐらいの悪意は持っていてもおかしくない。学会員の選挙勧誘のしつこさも知れ渡っているしね。

今は階層間の断絶と対立が先鋭化しているわけだが、それが潜在的にある宗教やら階級間の政治的な対立に飛び火したら、果たしてどうなるんだろうか? リベラルは安易に分断は良くないというけど、そういう事なかれ主義がかえって分断を先鋭化させるんじゃないかという気がする。健全な民主主義を機能させるには、むしろ階級とイデオロギー対立は可視化された方がいいのだ。例えば、カール・シュミット的な友敵理論を戦争のイメージで捉えるから間違っているのであって、議会制民主主義って本来はプロレスやeスポーツ的なものではないのだろうか。

話がいきなり飛んでしまったけど、リベラル的な分断を否定する価値相対的な「気分」こそが全ての元凶なのだ。お互いのポジションの違いを明確にした上で、きちんとしたプロレスが出来る政治的リングを整備することが、今の現代思想や文学に必要とされているんじゃないかね。左派が過激化しているというけど、少なくとも70年代の極左と比べたら大人しいもんでしょう。そういう「左派が過激化している」と自意識過剰気味に反応する、日本のインテリが一番体制的なものを支えているんだよ。

タイトルからだいぶ話が逸れてしまったけど、まあ学会員に対する個人攻撃が及ばない範囲での創価学会に対する批判は、もっと表沙汰で語られてもいいんじゃないかと思います。将来にわたって遺恨を残して、決定的な政治的紛争に飛び火させないためにも。

中国の新疆ウイグル自治区浄化って、現代思想的にもっと騒がれていいはずだけどね

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戦後の現代思想アウシュビッツから始まったように、新疆ウイグル自治区で起こっている民族浄化についてもっと語られるべきだと思うんだけどね。

アウシュビッツが民族(≒ユダヤ教徒)の存在自体の抹殺を目的としていたのに対して、生かしたままにその民族固有に宿る文化や魂を抹殺して、別の民族的な存在へと作り変えるという違いはあるが。彼ら(中国政府)としては、ナチスと違い「殺していない。むしろ生かしている」から、自分たちの方が人道的だという認識なんだろう。

だけれども、何百年と受け継がれてきた民族固有の文化や信仰を一切抹消して、共産党政府に従順な「ただの人間」に作り変えることも、ある種のホロコーストに等しいおぞましさを感じる。でも振り返れば日本の現代思想でも、資本主義と工学的支配が完備された中で、消費する以外の生の目的を一切持たない「動物的」な主体性が追求されてきたことを見れば、北京政府と日本の現代思想一派は、おそろしく距離が近いのではないかと思わされる。しかも、欧米圏でも加速主義やら暗黒啓蒙が流行しているらしいのを見ると、世界中が中国化(資本主義的な全体主義)しつつある予兆を感じさせる。

だから、今、新疆ウイグル自治区で行われている実験とは、決してスターリン主義的な共産党専制政治による暴力ではなく、民族の文化や信仰を抹殺して、人間の生を資本主義と消費社会に完全適合させる「人間の動物化」実験なのである。いや、だからといって資本主義を全否定したいわけではなく、むしろ資本主義がそのような性格に変質したことに着目したいということである。ネット論客を観察しても、文字通りの市場原理主義者が、国粋主義全体主義的なものと波長が合っているケースも多々見られるからね。しかし、動物化した日本(世界かもしれない)の現代思想一派が、この問題について深く考えることはなさそうだ。

書評:ドイツの新右翼

ドイツの新右翼

ドイツの新右翼

非常に面白い内容だったけど、手マンとかパヨクとかいう翻訳センスはどうなの?

急速に劣化しつつあるオタクカルチャー

はっきり言って、オタクカルチャーは衰退期に入ったといえる。まとめサイト的なコミュニケーション作法にオタクが取り込まれてしまったことで、あらゆるものがSNS的なネタ消費の対象となってしまった。アニメを見るよりも、タピオカを飲んでいる女子高生をモニター越しからバカにしていた方が楽しいのである。

まあ、コンテンツそのものが、ネタ消費のためにしか量産されないような国に成り果ててしまったから、日本からMCUBTSが出てくるダイナミズムなど期待できるはずもなく、ジメジメしたミニマリズムの悪意のショボい状況に陥ってしまっているわけである。その負のループに適応すれば、それはそれで居心地のよいユートピアなのかもしれないが。

ぶっちゃけると、オタクカルチャー(というかジャパンカルチャー全般)なんて「抹殺」されればいいと思っているけど、この動物というか家畜化されたディストピアが変わることはないのであろう。ただ、この状況に対して、9.11的な(パト2のような自己完結的な自作自演ではなくて)テロリズムを起こすようなメシアがいつか現れることだけは、僅かに期待しているつもりではある。時代へのある種の自己反省を迫るようなパラダイムシフトが起こりえないのだろうか?