ギロチン

F@CK ポストモダン

NGT48山口レイプ未遂事件で見えるアイドル論壇のクソさ

NGT48山口レイプ未遂事件は、知れば知るほど胸糞悪さがこみ上げてくる案件だけど、しかしAKB論壇の連中は何をやっているんだろうかね?


まあ、都合が悪い事件があると、界隈は直ぐに逃げ出すことなんて、峯岸みなみ坊主事件の時に立証済みではあるけど。中森明夫なんて、本来業界に忖度せずに正々堂々と批判しなければならない立場なのに、今のところ話題になっている様子はない。そういえば、峯岸事件の時、宇野常寛主催のニコ生に出たときは、運営や、アイドルとファンとの関係などを洗いざらい自己批判しなければならなかったはずなのに、むしろ安倍応援団のネトウヨの方が怖いとか呑気なことを言っていた記憶がある。中森がダメなら、ライムスター宇多丸がいると思いきや、「安全に痛い」自己反省パフォーマンスでお茶を濁す程度だった。また、吉田豪はいつもとおりヘラヘラしているだけだった。


で、今回の件に関しても、インテリアイドルファンから目立った反応はない。リベラルサイドのアイドルファンからの反応も少ない。全体的に、事件そのものを積極的に語ろうとする機運が感じられない。多分、既に出来上がった居心地のよい空気感を破壊したくないからであろう。アイドルファンにとってのアイドルとは、ただ自分たちが癒やされたり熱狂したりするための道具に過ぎず、生身の体と精神をもったアイドルとしての主体性の尊重なんて二の次三の次でしかないんだろう。


宇野常寛なんかは、麻枝准の作家性を「レイプファンタジー」と揶揄していたが、今や本人がレイプファンタジー以上にグロテスクな搾取を実践する側になっている。そういえば、宇野はAKBを通じて小林よしのり復権させたA級戦犯でもある。そして、小林はアイヌを差別するゴー宣を連載しているし、未だに宇野と小林は懇意の仲だ。まあ、これだけでもAKB論壇にはカスしかいないことがわかる。


なので、この件に関して「安全に痛い」言い訳をしている、インテリクズがいたら「や~い、レイプファンタジーwww」と草を生やしてやるべきだろう。


※追記(1/12) グループ内で横山由依さっしーが声をあげているのに、年明け早々ツイッターバトルをやっている宇野常寛や、今日食べたディナーの画像を上げている中森明夫は何をやっているんだろうかね? こういうときこそ、言論人が率先して行動しなきゃならないと思うんだけど???

※追記2(1/14) 吉田豪は(彼なりに)かなり強いステートメントを発した。  
tablo.jp

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あまりにも素朴すぎる反近代主義やしないか?

シロクマ先生がアジアの急速な発展と引き換えの破局的な少子化を嘆いているが、それを西欧的近代に罪をなすりつけているのは、あまりにも素朴すぎだし、しかも危険なものを孕んでいる反近代主義的な認識であろう。じゃあ、比較的近代化が緩やかで人口が増加している中東諸国やアフリカ大陸の人たちが幸せなのか? 実際は、貧困や疫病、地域紛争やテロの続発に悩まされているのが現実であろう。そういう意味では、少子化と引き換えに経済発展を遂げることは、けして悪いことではないのだ。

p-shirokuma.hatenadiary.com

逆に、最近の欧米のように政策として子供を生み育て易い環境をバックアップしていくという発想が何故思いつかないんだろうか? 移民を積極的に受け入れていくというオプションも考えられる。同性カップルが里親として子供を育てるという家庭も増えていくだろうし、子供を増やす方法なんていくらでもあろう。


こういうシロクマ先生の反近代主義的な認識って、落合陽一の身分制度復活みたいな議論と関係ないように見えて、実は近いんだよね。根底にあるのは、西欧近代的な民主主義社会への不信感なんだけど、しかし20世紀的な脱西欧主義ムーブメントが行き着いた先は、ナチスとかオウム真理教や、また排外主義的な21世紀型の新反動主義なわけである。だから、ある意味でシロクマ先生が言っていることも、ナチスやオウムに通底するものがあるといえる。


まあ、シロクマ先生のような古典的近代懐疑はまだマシだと思うんだけど、落合陽一やITベンチャー系のような、テクノロジー神秘主義が結びついたサイバー・オカルティズム(?)の方がヤバイんだろうけどね。高度な科学文明とオカルトが結託したナチスにより近いのは、そこらへんの界隈だろうから。

落合陽一は穢多非人の部落差別も認めるのだろう

TLで落合陽一さんの身分差別肯定論が今になって盛り上がっているけど、例の対談が炎上する前から当ブログでは落合さんのトンデモっぷりを度々紹介してきた。



身分制度を復活させるのであれば、当然、穢多非人の被差別民も復活させることになると思うのだが、落合さんはどういう見識であるのだろうか。


まあ、古市憲寿さんとの対談にせよ、この系統の人たちは自分たち以外の他者への想像力が貧しすぎるんだよね。こういう自分たちの周りしか見えてない言論でもいいんだという風潮を作ったのは、東浩紀やそれより上の世代の影響もあると思うんだけど、そんなことやっているから、どんどん人文知的な教養が破壊されて、ソーカルを印籠にしているような脳足りんエビデンス厨に侵食されていっている気がするんだよ。かくいう私も人文系には失望しているから、この界隈の話には近づきたくないし、ドゥルーズデリダの本なんて、バーベキューをくべる薪にでもした方がいいぐらいにしか思っていないが。


最近流行りの加速主義やカンタン・メイヤスーにせよ、現代思想なんてタダの薄っぺらいサブカルに堕した感があるけど、これらはそのままオルタナ右翼ネトウヨの潮流とも繋がっているので、所詮、落合さんや古市さんもネトウヨの亜種にしかみえない。しかし、そういう意味でいうと、日本の冷笑的な現代思想系やサブカル批評は、本人の自覚に関わらす総じてネトウヨ化しているんじゃないだろうか。その壁に阻まれて潰れてしまったのが昨今の東浩紀であろう。やっぱ人文本は、バーベキューの薪にでもした方がまだいいのかもしれない。そんなの読む暇があるなら、EDMに合わせて盆踊りでもしてた方がいいし、まだ知的である時代がもうそこに来ていると思うのである。

u-tokyo.hateblo.jp

※追記 あとで訴えてやると脅されても面倒なので、某さんの言及はごっそり消しました。まあ、オタクをバカにすることで言論人としてのし上がってきたような人だから、穢多非人身分に対する認識についても期待できるものはないだろう。

※追記2 ということだそうです。あまり信用ならないけど、今現在の落合さんの認識として貼っておきます。(1/6)

まあ、甘えているだけだよね。

落合陽一さんのネット番組がちょっとしたツッコミネタとしてバズっているっぽい。

ken-horimoto.com

こうやってせっかく笑えるネタにしたのものにマジレスしちゃうのも気が引けるが、ここで言われている戦後日本がうんちゃらかんちゃらって、つまり日本人が政治的な主体性を持てないのを、敗戦やサンフランシスコ体制のせいにするという、この手のインテリ知識人にありがちな議論である。無論、それはインテリが自分の政治性を放棄するための言い訳でしかない。


少なくとも、70年代までの日本は厳然たる身分制・階級社会であり、上尾暴動や成田闘争のようにデモやストライキが頻発していたという意味では、まあまあ政治的な社会であったと言えるはずだ。おかしくなりはじめたのは、80年代のバブル景気以後であろう。


結局、宇野常寛や落合陽一にせよ、日本をアップデートするとかいって、80年代~90年代の消費者主義的な気分の日本を延命させたいだけなんだよね。彼らが使っているレトリックも、繰り返されてきた80年代ニューアカの焼き直しでしかない。それすらも擦り切れまくっているから、ああやってネタにされているのである。


まあ、戦後日本(戦前日本も含めて)を、ある種の擬似的な”父(母)”に見立てて、自分たちが政治的に成熟できないのをその父母のせいにするという、アダルト・チルドレンごっこをやっているだけってことだ。しかし、(時には苛烈な暴力も厭わずに)いかに政治的に行動していくかというのは、日本の歴史や民族的運命によって左右されるものではなく、それこそ己の実存と主体を掛けて決めるものである。「サンフランシスコ体制とアメリカが~」とか「憲法九条が~」というのも、それもまた卑屈な知識人の甘えでしかない。


未だにこういう浮ついた知識人やメディアが跋扈しているわけだが、真に日本をアップデートしたいのなら、まずはこういう知識人どもやコイツラを重宝しているメディアや出版業界をガス室送りにするところから始めなければならない。

今年の人文トンデモ大賞をやろうと思ったけど特になかったので良かったものをあげてみる

まあ、全くないわけでもないんだけど、ますますクラスタ間の断絶が深まっている気がする今日このごろなので、他の人文系やサブカルクラスタに興味が湧かないっていうか。象徴的なのは、東浩紀がゲンロン代表を降りたのにアンチにすら話題にされないという、悲しい事態になっているし。みんなケンカし過ぎたせいで、もう通じ会える人同士で固まって、自分と合わない人と関わらない空気感が出来上がりつつある気がする。


そういう以心伝心が崩壊した廃墟の中で生きる屍となって彷徨っているわけだけど、そんな中で自分が今年良かったと思ったのは、やっぱGUNMA-17の動画かな。所詮、大物youtuberやゲーム実況といってもやっていることの本質はsyamuとほとんど変わらない*1中で、圧倒的なセンスで見せてくるものを作っているのって、彼以外にほとんどいないんじゃないかな(他のyoutuberは知らんが)。しかも、群馬の片田舎から発信しているのに、悪意のこもったサブカル的地方論を全部吹き飛ばすクオリティなのである(という言い方はバカにしてるっぽく聞こえるけど)。


いやでも、選曲や編集技術どれひとつとっても、youtubeのトップページを開いたら出てくる再生回数100万回超えのyoutuberの動画よりも圧倒的にセンスがいい。内容が主に日曜大工的なDIYや車・バイクのカスタムなのが、視聴者を選んでしまうのかもしれないけど、でもこういうセンスだけで勝負するものって、今の日本じゃなかなか見かけないと思うし、だからこそ可能性でもあるんじゃないかと思う。これは穿った見立てだけど、もし京アニけいおん!を正統進化させたならば、GUNMA-17みたいな感じになっていたんじゃないかなと言っても過言ではない気がする。VtuberやVaporwaveを聞きながら、資本主義とアンチヒューマニズムとはとかしたり顔で語っている奴らより、こっちの方が1兆倍知的なはずだ。


だから、GUNMA-17のvtuberや日常系アニメ以上にフィクショナルだけど、でもたしかな存在感が魅力的であると言いたいわけである。しかも、オタク的なものを介さないところから、こういうものが出た意義は大きいと思う。この手の趣味に有りがちな所ジョージ的な嫌味っぽさのないバランスとファッション加減もよいし。繰り返しになるけど、オタクカルチャーのだらしなさに居直ったり、落合陽一やカンタン・メイヤスーを読むことよりも、カルチャーや血と肉をもった身体性を回復することこそが、本当の意味での時代との闘いだと思うんだよ。


www.youtube.com

*1:syamuは結構好きです

呉座勇一『応仁の乱』

最新の研究に基づいた日本史の良質な新書が立て続けに出ているので、これを読まなくてもいいかなと思ってたけど読んでみました。


まあ、この著者も與那覇潤並に嫌味な冷笑系っぽいのであまり好きじゃないんだけど、読んでみたらなかなか面白かった。


予想していたものと違って、従来の説を新説で覆していく爽快感ではなく、応仁の乱を生きた興福寺の高僧、経覚と尋尊の日記に基づきつつ最新の研究を織り交ぜながら、乱の全体像を再構成していくというもので、ある種のルポルタージュ的な面白さを感じた。また、それぞれの人物像や行動を、冷たく淡々と突き放して推測していく著者の独特な語り口もいい。


社会学現代思想が下火なのと反比例するように、日本史ものの元気がいい感じだけど、これも時代への反動なんだろうか。古代~中世史だけでなく、明治時代以降の近現代史も批判的に考察する新書もそろいはじめているようだし。


那覇潤がまだ現役だった頃は、歴史学ポストモダン的なものに毒されていたのかなと思っていたけど、最近の日本史もの新刊ラッシュをみたらそうでもない感じなんだろうか。與那覇は日本的なものの不可能性の壁にぶち当たって廃業してしまったわけだけど、呉座は、辛抱強く解剖していくことでその壁を取っ払っていこうとする勢いを感じなくもない。


だから、ポモ系の文学青年や人文系って実証性やディシプリンをバカにする傾向があるけど、しかしされどなんだよね。また呉座のクレバーさは、おそらく実証性の限界をよく分かっていて、けど政治的党派性や感情的なニヒリズムにも煩わされずに、その時々の歴史上の人物や事象を軽妙なタッチでツッコミを入れていくユーモアセンスにあると思う。それは、前作の『一揆の原理』や『戦争の日本中世史』でも、いかんなく発揮されていた気がする。


まあ、ポストモダン批評や社会学が経済的苦境と同時に追い詰められているからこそ、日本史みたいな地味な分野が脚光を浴びている状況はあるのかなと。だけど、(嗤う)日本のナショナリズムなんかよりも、さらにシニカルでユーモアがあるこちらの方が、知的に真っ当じゃないかと思う。

理念やイデオロギーが欠けた”現実”など存在しない

以下の宇野常寛さんの認識は相当ナイーブだ。この世界に理念やイデオロギーの欠いた現実など存在しない。


newspicks.com

「左右のイデオロギーをヒーリング的に消費している心の弱い人が多すぎて、現実的な議論にそもそもなっていない。」「石破茂山尾志桜里の論争には、僕は意味があると思っています。あれは「ぶっちゃけ、これからどうするんだ?」という具体的な議論ですからね。「実際に朝鮮半島で何かが起きた場合、この先のPKOに対してどういう枠組みが妥当なんだろう」といった技術論を彼らは議論しているわけで、これには非常に意味がある。」


しかし、今起こっていのは純然たる右翼と中道寄りも含めた左派との政治闘争であって、別に自分探しごっこではない。


そこで、宇野さんが何故「自分探し」と貶めているのかといえば、そう相手を矮小化するこで、自分と読者の心理的な予防線を張っているのである。政治とイデオロギーの問題を、全て自意識とアイデンティティ・ポリティクスに帰そうとする傾向は、ポストモダンサブカル評論に有りがちなことではあるが。


宇野さんが掲げている市場と情報を介した「新しい政治」も、結局は新自由主義という”イデオロギー”でしかないわけだが、その第三極もフランスの暴動を見れば雲行きが怪しい感じである。


新自由主義も、中国や新興国の経済成長によってまわっていたに過ぎないのだが、それも鈍れば世界中が極右の過激化と左派の社会民主主義回帰が加速するだけである。その時に幾ら新自由主義的な言論を処方箋として提示しても、なんら新鮮味もないであろう。


だいたい、左右の問題にしたって、反安倍的なネトウヨや職業右翼、改憲派左翼や中道保守寄り左派も運動内部に大勢いるわけで、内実はかなり複雑である。それを無視して「右!左!自分探しがイデオロギー回帰している!!」と単純に二極化しているのは、それこそ相手を見下せるよう、意図的に歪曲しているような匂いをプンプンと感じる。


あと、PLANETS10にせよ、安倍さんが半ば独裁的な手法で強引に物事を進めまくっているから問題なのであって、「安倍が一切出ない戦争特集」といっても、ただクリティカルなことから逃げようとしているチキンにしか思えない。


なので宇野さんが提唱する「イデオロギーの枠組みから離れた現実」というリアリズム認知も、原発事故に絡む様々な因果や社会的要因を遮断して、些末なディテールの違いや部分だけを論って、原発は安全だと絶叫しているキクマコ先生に近いものがある。


だいたい、どうみたって暴走するネトウヨとアレ政権の問題を、たかが弱小勢力の左派と同列に並べたてている時点で、性根が卑しいよね。まあ、宇野さんの薄っぺらい理想自体が、ネトウヨや安倍政権的なものに寄り添っておけばとりあえず安泰ってもんでしかないから、やはりPLANETSは、公明党創価学会的なネトウヨの衛星勢力みたいなもんだ。