ギロチン

F@CK ポストモダン

ダークウェブなんて、結局インテリニートの思想でしかない。

木澤佐登志さんはとても面白い書き手だと思うけど、でも(オルタナ右翼やネオ反動主義に対する)自分のスタンスをはぐらかしている点は不誠実だと思う。欧米でオルタナ右翼が問題になる遥か以前から、2ちゃんねるという「ネオ反動主義的」なダークウェブアンダーグラウンドが暗躍し、実際に日本の言論空間や政治を無茶苦茶にしてきたのだ。

ダークウェブよりヤバい「普通のウェブ」
https://ascii.jp/elem/000/001/832/1832059/

繰り返しになるけど、vaporwaveにせよオルタナ右翼的なリバタリアニズムにせよ、向こうでもニッチな需要しかないと思うんだけどね。オーストラリア人がモスクを銃撃した件だけど、FBであっちのネトウヨ系ページを観察したら、あくまでもワーキングクラスであることを掲げている感じだ。だからオルタナ右翼の主流は、そこそこ教養のあるインテリニートではなく、むしろ政治的な疎外感を抱いている(食うには困っていない程度の)労働者階級ではないかと思うのだ。実際にそういう労働者の鬱積した不満を上手く利用してきたトミーロビンソンの方が、ニック・ランドなんかよりも遥かに思想的な影響力がある。


ここ10年の先進国の好景気は、主に新興国の成長によって支えられていただけである。それにフリーライドしてきただけのクセして「資本主義の加速によってヒューマニズムを解体する」とかいう新反動主義の思想はアンポンタンとしかいいようがない。その根底にいくらリバタリアニズムがあろうとも、所詮はドナルド・トランプという偽りのパターナリズム抜きには存在しえない。国家やヒューマニズムを解体しようとすればするほど、ファシズムや「超」国家主義に依存せざるをえない矛盾したものだ。


まあ、新反動主義なんて「失われた過去からの未来」みたいな、センチメンタルなロマンに満ちたものではなく、大学院を出ても「負け組のヤンキーになんで勝ち組オタクのアタシが税金払わないといけねぇんだ??」とか言う、こすい小悪党のための思想でしかないんじゃないかねぇ? 所詮、ネットの思想なんてまともにものを考えることのできない、無数のバカに支えられたものでしかない。バカがいくら理論武装したところで馬鹿はバカだ。それを見抜くための勘とセンスを鍛えるのが、ウェブ4.0以降の人文知であるべきだろう。

新興国の成長が頭打ちになれば加速主義も廃れるであろう

加速主義について興味深いエントリがあったんだけど、でもこれって先進国の経済成長というよりも新興国の経済発展に依存した思想でしかないんじゃないかね?
note.mu

結局(加速主義的な)新自由主義は、先進国における中間層の没落と格差の増大をもたらすものでしかなかったことは、言うまでもないことであろう。加速主義はオルタナ右翼の思想的な源流でもあるけれど、しかしvaporwaveに縁のない大半の右派労働者層や中間的保守層は、むしろ右翼を通した社会民主主義的な政策の復興を志向しているんだから皮肉なもんである。加速主義とかいうネオナチ呼ばわりしてもいいこの奇矯な思想は、今や資本主義からも、その支持母体からも裏切られつつある。少なくとも欧米におけるオルタナ右翼ムーヴメントは、新たな階級闘争の様相を呈しつつある。いくらニック・ランドが面白かろうと、ワーキング・クラス・ヒーローと化したトミー・ロビンソンの足元にも及ばないのだ。


まあ、中国や新興国における経済成長の頭打ちと、それによる世界的な景気後退が自明となった今、右派も左派もますます原理主義的になっていくはずである。でも、逆に言えばその原理主義化の前では無力だからこそ、vaporwaveやAlt-right的なユートピア感が輝くってのはあるかもね。たしかに、vaporwaveの80年代的なフラットな消費社会的享楽主義への郷愁はわからなくもない。だけど、その居心地のよさも所詮は不純物だらけのドラッグでしかなく、自己嫌悪的な陶酔感にただ浸っているだけのバッド・トリップでしかないのだ。youtubeで80年代のノーテンキな日本のCMをバックに、スーパーで流れているような安っぽいbgmを聞いている瞬間は、たしかに懐かし気持ちい多幸感に包まれはするけど、でも頭の裏側では常に不安と絶望感がよぎり続ける。だから暗黒啓蒙なんて着古したボロキレのポストモダニズムでしなく、真面目に勉強する気のない文化系がいきがるための、アルコール度数9%の氷結ストロング並の思想でしかないのかしらね。

メモ:最近のオンライン・サロンについて

イケダハヤトやはあちゅう周辺のオンライン・サロンとかいうのが延焼しているっぽいけど、かつて宇野常寛さんの右腕だった転叫院氏が2009年時点でこんな予想をしていたので、internetarchiveから掘り起こした当時の日記を以下に貼っておこうと思う。

web.archive.org
抗争ゲーム」から「搾取ゲーム」へ

同じ地方都市(人口10万くらいが妥当か)の中でマルチ商法同士が信者獲得のために動員ゲームやる話を書けばゼロ年代的かも。マルチ商法VS新興宗教でもいいけど。

でも、リアルにこのプロットを考えたら、どうやってもこの両者が戦争なり抗争なりやるっていう方向性には行かないと思うんだよね。マルチ商法でも新興宗教でもいいけど、「他者否定」の色がどんどん薄まっていったのがゼロ年代なんじゃないかって思う。

他者否定をミニマムにした解の一つがスピリチュアルでしょう? スピリチュアルは信者から広く薄く搾取したけど、今のところ対外抗争は殆どやっていないように思う。

マルチ商法とかインチキ商売だって、昔はもっと危機をあおったり差別的優越感をあおったりするものが多かったと思うんだよね。90年代が「買ってはいけない」の時代で、そこから「(買ってはいけないは)^n++ 買ってはいけない」の無限後退が起こって、その袋小路から「ステキな私に生まれ変わるために○○を使おう」的なポジティブ広告に針が触れたんじゃないかと思う。

ゼロ年代初頭の「バトルロワイヤルのエレガント化」というのは、仮想敵を名指しせず、政治的に正しい言い逃れを続けることであった。つまり、動員ゲームの「指し手」たちはこぞってPC化したのである。

そのような「エレガント化」によって、「エクスプリシットな抗争から、インプリシットな搾取へ」という動員ゲームの質的転換が起こった。なので、わざわざ「バトルロワイヤルをエレガント化すること」などと言わなくても、ゼロ年代終盤の動員ゲームは既に十分にエレガント化している。エクスプリシットな抗争なんてものは起こらない。

抗争なんか起こすより、「仮想敵のポスターに向かってパイ投げできるアトラクション」を用意してやって、広く薄く入場料を取るほうが効率的な動員ゲームだからだ。

ワープア論壇が団塊の世代と直接対決したか? にちゃんねらーが「プロ市民」と直接対決したか? そんなことは殆ど起こっていない。にちゃんねらーは「プロ市民のポスターに向かってパイ投げできる場」を作り、無害に動員し、無害に盛り上がっているだけだ。動員ゲームの「指し手」たちはみな、「政治的に正しい、仮想敵を直接的には名指ししない作法」を身に着けつつあるように思う。

したがって、今後必要になる「動員ゲームをサバイブする知恵」とは、「政治的に正しい言い逃れの背後にある搾取を暴くこと」である。政治的に正しい「動員ゲームの指し手」たちに「政治的に不適切な失言」をさせ、その言質を取って戦うすべを、一般構成員たちに教えるのが、ゼロ年代終盤の啓蒙だ。

web.archive.org

 バトルロワイヤルとかいうよりは、「日常生活の劇場化」+「劇場の政治化」(http://blog.tatsuru.com/2008/07/12_2204.php)によって、「日常生活のプチ政治化」が起こったというのが、僕の00年代の社会状況の変化に対する見方。


確かに政治的プチ動員ゲームは起こっているだろけれど、その規模は年が進むごとに縮小して行っている気がする。確かに、ムラと高速道路の峻別によって、日本全体がぷちハマータウン化して、それぞれのぷちハマータウンでは、ミニミニ田中角栄やミニミニ鈴木宗男が政治的動員ゲームを繰り広げているわけだけれども、それって「動員ゲーム」とか言うほどの規模のものなのか? と思う。


バトルロワイヤルや動員ゲームの例としてネットのいわゆる「噴きあがり」を上げるのはミスリーディングだと私は思う。昔の、たとえば70年代の新左翼内ゲバや、暴走族の抗争とかのほうが、今から見ればよっぽど社会的に問題のある動員ゲームだったと思うし、00年代は概して平和な時代だったように思える。


70年代が人間に向かって火炎瓶を投げつけることもあるような時代だったのに比べれば、00年代は仮想敵のポスターに向かってクリームパイを投げつけるような時代で、よっぽど安全かつ無害な時代になっているんじゃないだろうか、と。


おそらく、経済的・心理的にペイする範囲ということを考えると、現代人の「(対外抗争・対内抗争を含むバトルロワイヤル的な)動員ゲーム」に対する欲求って、せいぜい身の回り10人を動員できれば十分満たされるものなんじゃないかな、と僕は思う。オウムや昔の新左翼みたいなことをやろうとする誇大妄想的な統率力を持てる(そのモチベーションを維持できる)人なんて、あと10年は日本には出てこないと私は思っている。予測が外れたら謝ります。もちろん、100人や1000人で、仮想敵のポスターに向かってクリームパイを投げつけるイベントは起こるだろうけれど、それは悉く一過性の場当たり的なものになると思う。


そして、100人や1000人を動員するような団体が現れるとすれば、それは何らかのリアルな敵に向かって抗争を仕掛けるような団体ではあり得ず、むしろマルチ商法的に、構成員のローカルなナルシシズムに囁きかけ、上層部が一般構成員から広く薄く搾取するような集団として現れると思う。


だから、私の考える00年代向けの啓蒙というのは、いかにして一般構成員たちに、上層部の搾取のからくりを暴かせしめるか、というのを教えることだと思うのだけれど。
※太字部分は当ブログが強調

ぶっちゃけ、ハズレた予測もあるけど(ネトウヨvs反レイシズムが日常化した)当時の時点で、今のAKBやオンラインサロンの出現を予測してたかのような指摘は興味深い。はあちゅうやイケダハヤトにせよ、転叫院がいうところの「エクスプリシットな抗争から、インプリシットな搾取へ」と形容できるものであろうし、細分化されたクラスタやコミュニティのブロック化が起こっているのが、10年代終盤の今現在の状況ではないかと思う。久しぶりにゼロアカっぽい記事を書いてみた。

電気グルーヴでこじらせたウザい奴ってごく少数じゃね?

ツイッターを見ていると、電気グルーヴをヘイトしているっぽい人が散見されるけど、しかし、電気でこじらせた痛い信者ってそんなにいないんじゃねぇの?


電気のナンセンスさって基本的に自己完結的で、それを外部に向けて煽ろうとした形跡はあまりない気がする。たしかに、KRATEKAあたりまでは、そういうものをウリにしていた感じはあるが、それ以降は純音楽的な道を希求していったように思う。VITAMIN、DRAGONを挟んで、ORNGEには原点回帰的な要素はあるけど、でも人生~初期の電気にあったようなエグさは、だいぶ和らいでいる感じがする。


まあ、だけど、そのドライな雰囲気が逆に反発を招いていのはあるかなと。オーケンのように己の自我をドス黒くぶちまけることもなければ、ビジュアル系みたいに胸騒ぎな思春期の白昼夢を掻きむしるわけでもなく、それらをニヒルにスルーするスノッブな距離感が嫌われてしまうのかもしれない。でも、そのスノビズムは彼らのオリジナルっていうか、クラフトワークYMOニューオーダーデトロイト・テクノ、ヨーロッパのクラブシーンから吸収していった、ある種のロックンロール的な矜持ではないかと思う。


なんで、電気をエモい形で内面化している痛い信者なんてそんなにいないんじゃないのかな。ぶっちゃけ、非オタク層の割とおとなしめの洋楽ファンやオシャレさんが多数を占めているのが実態ではないかと。というか、電気のナンセンスなギャグセンス的側面って、ほとんど忘れ去られているような気がする。


www.youtube.com

ギャルゲーマーを「レイプファンタジー」映画秘宝読者を「ルサンチマン中年」と揶揄してきた人がね。

宇野常寛さんがキングコング梶原にからかわれてご立腹な様子だけど、しかしオタクやサブカルを嘲笑してのし上がってきた人が、いまさら被害者ぶっているのは欺瞞にしか見えない。


宇野常寛さんの言う「レイプファンタジー」とは、主に麻枝准の作風を揶揄したものだが、しかし、麻枝とは関係のないギャルゲーマーも「気持ち悪いレイプファンタジー」という印象を外部に与える意図で思いついたキャッチコピーであることは、察せられるべきであろう。


それ以外でも、柳下毅一郎の発言を論って「秘宝系ルサンチマン中年」とか嘲笑したりしていた。そうでなくたって、空気の読めないオタクを散々ネタにしてイジメてきたような人間である。宇野さんの過去の発言は、internetarchive上に残っている旧惑星開発委員会を見てもらえば、本来の彼がどういう人物であったかを、容易く見て取れるはずである。

「どうぞ、そちらに座っちゃって下さい」
 今回の依頼者は神山敬太(24)。早稲田大学教育学部の四年生だった。身長約165センチ、推定体重95キロ。正体不明の油分の滲んだ眼鏡と襟口の黄ば んだTシャツが印象的な、客でなければ水洗トイレに流す以外に対処の仕方を思いつかないタイプの青年だった。
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人間関係が苦手で「文化系」キャラに逃げちゃっているそこの君!
君の世渡りが下手なのは「敏感すぎる」からでも「特別」だからでもない。
それは単に君が「バカ」で、センスも悪いか らだ。
でも大丈夫、妥当な自己像を持って、しかるべき手を打てば、いつだって逆転は可能だ――!
web.archive.org

「王将」の一日分の残飯を全部折り詰めてしまえそうな凶悪フェイス。ジャイアンの母を想起させるニンニク系ボイスに似つかわしくないアニメ喋り。そしておそらくは自分では似合っていると信じて疑っていないショッキング・ピンクのマニキュア。
http://web.archive.org/web/20021205185142/http://members.tripod.co.jp/toumyoujisourin/otakuro.htm
⇑キモオタをネタにしてバカにした、大学生時代のテキストサイトの残骸

garth.cocolog-nifty.com

ホモセクシャルな友情をバカにしたこれなんて、今なら再起不能なぐらいの炎上必至である。
www.nicovideo.jp

まあ、誰にも悟られたくないであろう黒歴史はあるが、宇野さんの場合は、評論家としてのスタートが自分よりも弱い存在を痛めつけることでのし上がってきたようものなんだから、そこで今現在とのスタンスの整合性をどう取るのか疑問なところがある。そもそも「空気の読めないオタク」を指南する役を買っていた人が、いつの間にか空気を読む社会を批判する殉教者みたいな感じになっているその変わり身の速さもあれっていうか都合がよすぎるよね。しかし、それも「安全に痛い」無害な範囲でしかないのは、宇野さんが本物のアウトローになれない弱さゆえなんだろうと思いますが。

で、これって要するに「不思議ちゃんの彼女が欲しい」って話 です よね。
 この作品の本質はメタ構造でもなければSF設定(世界改変能 力云々)でもない、(恋愛を含む)「こんな青春がしたい」妄想の屈折した表現ですよ。
 この手のオナペット産業に一切思い入れがない人間から断言さ せていただきますが(笑)、この作品は「自分は恋愛(に代表される日常世界でのロマン)にたどり着けない」と劣等感を抱え込んでいる男の子たちの現実逃避 装置としてかなりよくできている。SF設定もメタフィクションの導入も、全部「萌えオタの自己正当化と現実逃避」のために機能しているんです。
web.archive.org

ゲームとしては及第点。けどストーリーRPGとしては…

PS4買ったのでFF15やっているけど、ごちゃごちゃで見難い点を除けば戦闘とかシステム周辺は面白いと思うけど、ストーリーに引き込まれるものがないので、いまいち消化不良感が残る。サブクエストがメインで本編がおまけみたいない感じなのであるが、それがスカイリムのように最終的に繋がっていくのであればいいんだけど、そういう風でもないので、どうしても暇な時にちょこちょことサブクエストをこなしていくみたいなプレイスタイルになる。


FFナンバリングシリーズの魅力は、序盤における怒涛の展開でプレイヤーを引き込んでいくところにあったはずなんだけど、オープンワールド的な自由さを優先した結果、スタート地点からいきなり広大な世界に放り込まれて、情報を集めてクエストをこなしながら淡々とシナリオを進めていく感じになっている。だけど、それって普通のドラクエみたいじゃん?


まあ、だからゲーム設計としては、FFというよりかドラクエに近いと思う。シナリオのペースでプレイヤーをグイグイ引っ張るかつてのFFではなく、あくまでもプレイヤーが能動的に動くことでストーリーを進めていく凡庸なRPGという感じである。まだ序盤だけど、話によれば後半はいつもの一本道FFになるらしいので、そこはFFとしてのシナリオ設計を間違えたんじゃないかという気がしないでもない。


しかし、JRPGとしてのDNAと現代的なオープンワールドRPGの間でぶれて、どっちつかずの中途半端なものになってしまったことは否めないと思う。そもそも厨二病的なナイーブさを受け皿にしてきたJRPGは、The Elder Scrollsやウィッチャーシリーズのような、ある種のリアリズムを志向している現代的な西欧産ファンタジーRPG隆盛の時代とは相性が悪いのだろう。


そこで、パワハラや政治的腐敗といった中世ジャップランドの実情と、オタク的な日常主義系クールジャパニズム(?)を上手くシナリオに組み合わせて海外で絶賛されたペルソナ5は、FFやドラクエなんかよりもJRPGの先端をいっているのではと思う。またビジュアルや厨二病的なコンセプトとしても、ニーアの方がアート性が高い感じもするし。でもAC7とバイオRE:2がPS1時代のシンプルさを正統進化させて好評だったように、次は原点回帰的な感じになるんだろうか。少なくともFF7リメイクは、余計な要素を削ぎ落としてシンプルにしそうな気がする。