ギロチン

腐れポモウヨをぶっ潰す👊

資本主義はフェミニズムを発展させるか?

今から2年前、とある人のことを「邪悪だ」とツイッターで書き込んだばかりに、喧嘩になって延々と朝の5時まで絡まれる羽目にあったのだが、まあ、直接本人にそれを言わずに、陰口を叩くようなツイートした私にも非があるわけだから、そこは素直に謝罪させていただきたいと思う。

しかし、その喧嘩の最中に、その人が「資本主義がフェミニズムを発展させた」とか言っていたんだけど、果たしてそうなのだろうか? 例えば、wikipediaで女性参政権の項目を調べてみたってニュージーランドやオーストラリアの方が、19世紀末~20世紀初期の段階で女性参政権を確立させており、イギリスやアメリカよりも早い。アングロサクソン系国家以外でも、フィンランド1906年ノルウェーが1913年、ソ連が1918年と、当時最強の資本主義国家であったアメリカよりも早く、資本主義の発展と女性の権利向上が相関しているようには見えない(最も成功した資本主義国家スイスに至っては1991年だ!)。

ここで「女性参政権フェミニズムは別の話だ」みたいな、ヤクザめいた詭弁を弄してくるんだろうけど、しかし、フェミニズムの思想自体が、男性と同等の権利を要求するところから始まっているのだから、その批判はあたらないだろうと予め牽制しておく。だいたい、フェミニズム国家といってまず思い浮かぶのはスウェーデンだけど、しかし、アングロサクソン的な「神の見えざる手」とは異なる、高度福祉国家型社会なんだから、資本主義とフェミニズムに相関関係を見出すのは無理がある。しかも、アメリカは1960年代の公民権運動によって、実質的に黒人の人種的平等が始まったような国なんだから、こと人権やフェミニズムに関しては、(未だに中絶が問題になる感じをみても)やや遅れている方だと見なすべきなのである。

結局のところ、左派やリベラルに逆張り張りたいがために、よく考えもせずについ口を滑らせてしまったんだろうね。だけど、ここまで教条的にアングロサクソン的な「市場万能論」を振りかざしているのを見ると、ある種の日本の文学思想界隈は、50年前の新左翼的なマルクス主義が、そのまま、現代的なネオリベ礼賛にスライドしただけで、その融通のきかなさと攻撃性は変わってないのかなと思わされる。しかも、教条的に市場競争主義を信奉するアングロサクソン的な思想は、今やオルタナ右翼ポスト・トゥルースなどの根源になっているのである。

だが、市場と自由と自主自立を軸にしたアングロサクソン的「神の見えざる手」万能論も、そろそろ終わりが近そうなことは、ブリクジット以降のイギリスや、アメリカの地位低下を見るに察するべきだと思うんだけどね。むしろ、これからの資本主義は、人間の生を細かく管理する中華人民共和国的な方向へと進んでいくんじゃないだろうか。アメリカが後退すれば、自ずと中国的な管理型資本主義が、世界中にばら撒かれることになるであろう。

まあ、マルクス主義が、そのままネオリベ礼賛に変わっただけの日本の人文教育に、圧倒的な敗北を感じてしまうのである。だけど、柴田英里さんみたいに、ヴィーガンやフェミ女性とか、それぞれ独立独歩で生きる人々や女性を憎んで、保守的な男女観や差別観に保護されながら生きることを望んでいるのを見ると、資本主義+体制に管理されたがっているのは、むしろネオリベ系や表現の自由戦士系なのかもしれない。そういう意味で、資本主義の"中国化"は、我々の知らぬうちに忍び込んでいる。

非日常と日常が混在するのなかで日常を称揚することの不毛さ

台風で千葉県がヤバいことになっている。いくら3.11と比較にならないといえど、首都圏で発生した大規模災害であり、同じ状況が東京や近隣の神奈川、埼玉、北関東3県でも起こりえたかもしれないのである。そこで思い出されるのは、3.11の時に、あるタイプの評論家たちが、こういうときこそ普段通りの日常を見失わないべき、みたいなことを言っていた気がするが、だけど、今回の災害を見るに、果たしてそれはリアルで重みのある言葉となりえるのだろうか?

例えば、3.11の時に行なわれた輪番停電で、鈴木謙介が「不安にならずに、暗がりの中で星を見て綺麗だなって思えることが大事」というようなことを言っていた記憶がある。しかし、今回のように、完全にライフラインが寸断されてしまうと、そんなことを言ってられる余裕などないし、暑さや寒さ、飢えと渇きと生活物資不足に直面するのである。そんな恐怖感を、今東京と目と鼻の先で見せつけられているのだ。

結局、評論家の言う"日常"なんていうものは、いざ災害があれば、簡単に破壊されてしまう脆弱なインフラの上にしか存在しない。むしろ、インフラが完全に破壊されているのに、それでも職場や学校に行き、普段通りの買い物や家事をこなせる日常を希求する方が、どうかしている"非日常"の光景に思えてしまう。しかも今回は、隣の県ですら政治が「知らぬ存ぜぬ」といって素通りするような、薄気味悪い日本的なアイロニーが透けて見え、余計に気持ち悪く胸くそ悪い。

所詮、評論業界が言うところの"日常"とは、自身に心理的なダメージが降り掛かってこないための、意図的な切断処理のようにしかみえない。また、鈴木謙介とは別のある評論家が、3.11の時にモノポリーをして叩かれていたけど、今から考えれば、それも「こんな時でもオレは余裕でいられぜ!」という、動揺を抑えるための照れ隠しだったのだろう。だから、その評論家が先制して繰り出した"日常"という概念も、結局、自分への言い訳でしかなかったと思うのである。

つまり、"日常"なんていう評論家のボケに付き合う必要はなくて、いざ災害や大地震に襲われたら、まずは正しく非日常をサヴァイヴし、そうでない人も恐怖するべきなのである。"日常"と"非日常"という線引そのものが幻でしかなく、非日常もまた日常なのだ。思想としての"日常"なんていうものは、ナパーム弾やトマホークミサイルが降り注ぐ中でも、明日仕事や学校に行く準備をしろ!と命令する、「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてし止まむ」という標語と同じ日本のファシズム体制を擁護する扇動なのである。

だから、「この機会に夜空を見上げて星を見よう」とか言っていた鈴木謙介は、輪番停電という名のデマゴーグにまんまと引っ掛かった間抜けなのである。その程度の薄い絶望の前で絶望して、簡単に権力にひれ伏してしまうのが、日本の評論業界もしくは思想業界であり、そんな奴らの言うことに耳を傾ける必要などない。

日本というグローバル世界の中の”田舎”の中のヤンキーがグローバリズムと繋がっている面白さ

この前、クレイジージャーニーでBADHOP特集があったけど、このまだ弱冠17歳のラッパーLEXのインタビューも面白い。
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日本でヒップホップは、まだまだ局地的な流行でしかないと思うんだけど、でもヤンキーがヒップホップを通じて無自覚にグローバリズムと接続しちゃっているのが面白いというか、オタクカルチャーとは全く逆の状況にみえる。オタクはグローバル化によって、むしろ閉じることを選んだように見えるし、オタクのアイデンティティ自体が、クールジャパンというファシズムと分かちがたく結びつきすぎてしまったように思う。まあ、世界中どこの誰であろうと、半径5mの世界が、そのままグローバリズムと接続してしまうという、現代的ヒップホップの特性によるところもあるかもしれないが。

でも「世間から蔑まされている」というルサンチマンから、特異なアイデンティティが構築され、その殻に閉じこもってしまったオタクと比べたら、ヤンキーの方がまだ自由なんだろうか。あと、ヤンキー的な生い立ちが、単なる悪自慢ではなく、貧困の結果として語られるようになったのも、ここ最近の傾向だよね。悪自慢がただ武勇伝ではなくなったというか、クレイジージャーニーのBADHOP特集でも、貧困や搾取が背景にあることを、まともに掬い上げていたし。

まあ、ヤンキーとオタクという二項対立で書いてしまったけど、オタク的なものがヤンキーに流入しているのもあるし*1、移民文化なども含めて、クレオール化されたカルチャーが地下では胎動しつつあるのかなと。その辺りは、実質的に排外ファシズムに回収されてしまった、セカイ系オタク批評が見過ごしているものではないだろうか。加速主義周辺でうろちょろしているキモオタも含めて。

*1:新進気鋭ストリート・アーティストらしいけど、こうもフラットに越境しているのを見るに、某カオスラウンジの屈託とか何だったんだって感じだよね。 www.fashionsnap.com

ルサンチマンハンターの敗北




これらの言葉は、宇野常寛さんが政治的に敗北したことを表明したと捉えてもいいのだろうか。宇野さんはオタクだろうが左翼だろうと、自分の政敵を全て一括に、「ルサンチマン!」と罵倒することで、求心力を高めてきた。そしてイデオロギーに”回収”されない、第三の道(っぽい)イメージ戦略に成功したことで、評論業界に確かな足場を築き上げることが出来たのだと思う。その宇野さんにしては、これらのツイート内容は妙に弱々しくみえる。

まあN国にせよ、れいわ新選組にしろ、本物の第三極には勝てなかったということである。しかし、他にも立憲民主党や維新を叩いているけど、宇野さんたちも、別に政治的に支持されてるわけでないことに気づかないのだろうか。イケダハヤトや箕輪厚介的なものにしても、自民党や維新的なもので事足りるわけで、宇野さんが描いている理想を、独立した政治勢力として実体化できるはずなどない。

しかし、自民党に対する反応はこれだけで


あとは、維新を含めた野党叩きばかりやっているのダサいよね。今の中庸な言論人の限界というか、権力には決して立向はないのである。そもそも、自民党的(安倍的)な政治が大衆を分断、操ることで、れいわやN国に流れる膨大なルサンチマン階層を作り出したんじゃないのか? そこを考えないで、ルサンチマン大衆に憎悪の眼差しを向けるのは、ただの大衆批判でしかない。しかも、かつてレイプファンタジー泣きゲーマーやボンクラ映画中年を噴き上がらせてきたような、そのルサンチマン大衆を圧倒するオーラが、今の宇野さんには全然ない。

ここにきて、”ルサンチマンハンター宇野”は、そのルサンチマン大衆に敗北を喫したわけである。そりゃ、第三の道とかいって、橋下徹石破茂に媚びていればそうなるよね。しかも、宇野さんの「アベ」ならぬ安倍さん批判ってどこか表面的で、内心は安倍さんを支持している気がする。宇野さんは、江藤淳的なトンデモ反米論の継承者っぽいので、安倍さんに期待しちゃうのはわかるけど、でもその安倍さんにしたって、空母に改修したいずもに、まず搭載するのは米軍機という腰抜けっぷりなんだから、リアルポリティクス的に見ても、日本の対米自立は不可能であり、そこで、宇野さんの理論に内在している母性のディストピア的な矛盾の可能性を指摘せずにはいられない。

まあ、こちらも本音を言えば、善良な市民時代から嫌いとは言わないまでもいけ好かない存在だったので、このままあずまん共々、ルサンチマンネトウヨルサンチマン左翼に押しつぶされればいいと思っている。ゼロ年代批評的な第三極は、中途半端に権力の周辺でうろちょろするしか能がなく、独立した勢力とはなりえないのだ。


このツイートだけでは判断できないけど、ひょっとして宇野さん、徴用工問題に端を発した経済制裁について、一方的に韓国側に非があると思っている側なの? あと、中国云々についていえば、宇野さんらの理想論<政治と文学から市場とゲームへ>の行き着く先が、現在進行系でウイグル人チベット人回族や他のマイノリティを弾圧している中国だというのを、まさに体現しちゃってるよね。というか、中国が羨ましいかのようなニュアンスを感じる(笑)まあ、小林よしのりを応援するぐらいだから、やっぱ、ゼロ年代批評はレイシズムと親和性が高いのである。左翼は鼻息荒く罵倒するくせに、ネトウヨに対しては、「一応批判しています」というアリバイ作りのための、甘々な感じだしね(宇野さんに限った話じゃないが)。まあ、ゼロ年代批評&自称中立系的には左翼よりも、ネトウヨがのさばっている社会の方がなにかと都合がいいのだろう。

しかし、「奇妙な逆転現象」と言うが、開発独裁国家の方が経済合理性をスムーズに追求できるのは、軍事政権下の韓国や、一党独裁シンガポールサウジアラビアなどで実証済みなんだから別に珍しくもなんともないであろう。いや、日本だってもしかしたら、自民党という「事実上の一党独裁体制」によって、高度成長を達成できた可能性も否定できないよね。それが、小泉~安倍というある種のカリスマ支配に行き着いた途端、転落が始まってしまったわけだけど(笑)

まあ、だけどSEALDSはバカにしてたクセに、香港の市民運動にコミットしている知識人連中ってなんなのだろうね? アグネスさんら日本語話者がいたことが大きいと思うんだけど、でも日本の中立系の知識人にとって香港の運動は、たぶんコントラストの差を利用して日本の左派運動を貶めるためのネタでしかない気がする。それに宇野さんの「(中国は)経済合理性を勘定して条案を撤回」したみたいな発言は、それに至るまでの香港市民の抵抗を軽くみたような感じだよね。

サイタマノラッパーから遠く離れて…

サイタマノラッパーとかいう地方差別のクソ映画がある。公開当時、宇野常寛が冷笑目線でやたらと持ち上げていた記憶がある。あと藤田直哉も、同じく冷笑半分で褒めていたような気がする。

それから約9年あまり。まだまだインディーズ的ではあるものの、youtubeやインスタ、tiktokなどの若者が集まりやすい場を介して、日本でもそれなりにヒップホップが盛んになりつつあるようだ。そんな中でも、サイタマノラッパーの舞台となった深谷のちょうど隣町、熊谷発の舐達麻は中々良いなと思った。

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明らかに大麻を意識したユニット名と、その話ばかりをラップにしているので抵抗感があるかもしれないが、BADHOPとはまた違う、東京からは少し離れ過ぎている郊外ならではの、急ぎ過ぎない時間感覚とそれ故の閉塞感が心を打つ。都会を中心に活動している、ギャングやヤンキー上がりのラッパーにはない感覚ではないかと思う。

だけど、日本的な鎖国性に吸収される危険性があるとはいえ、ネットカルチャーの浸透によって、日本というグローバルの中の鎖国化された”セカイ”と、海を飛び越えたグローバルな”世界”と接続しているのは、クールジャパン的なエスノセントリズムに陥ったオタクではなく、不良やヤンキー上がりのラッパーってのが面白いよね。それと比較したら、オタクは鎖国下のセカイに閉じこもり過ぎている。

まあ、別にヤンキーのことを信じているわけではないけど、でもインスタやtiktokで海外セレブに憧れる女子高生や、地方で鬱屈しながらK-POPspotifyで最新の洋楽ラップを聞いている不良とかの方が、まとめサイト内田真礼の炎上に参加しているキモオタなんかよりも、よっぽど希望がある時代になった気がする。


たいしてヒップホップもその歴史も詳しくないので月並みなことしか言えないけど、ヤンキーとビジュアル系にヒップホップがハイブリッドに交わったこれとか面白い。
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釈迦坊主なんて一昔前ならビジュアル系をやっていそうな顔立ちでラップをやっているのに時代の変化を感じる
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しかも、本人が一番影響を受けたのはファイナルファンタジーだという。
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未だにこんな90年代ゾンビがのさばっているんだね

note.mu
電気グルーヴは深夜ラジオで世に出てきましたね。隠キャの非リアらに支持された。クラスの憎いリア充や、そのリア充らに支持されるテレビタレントやミュージシャンたちをリスナーらと結託して一方的にdisる。そういうネクラたちの内輪の暗い悦びなコンテンツが電気グルーヴの深夜ラジオ。


石野卓球SNSで生け贄を見つけると、信者らをけしかけて数の暴力で潰しにかかる。また卓球がその生け贄をレッテルする言葉はいつも定型だ。だいたいソレは電気グルーヴ信者にこそむしろピッタリ当てはまるような内容である。

後追い世代からしたら、この電気グルーヴに対する愛憎は丸っきり理解できないものである。そもそも、リアルタイム世代にしたって、電気のネタ的側面を、例えば伊集院光のラジオや大槻ケンヂみたいに、ある種のルサンチマンと結びつけて消費していた奴なんて、ごく少数じゃないのかね? 電気はネタにする上でもそういうルサンチマンを周到に切り離しているように見えるし、だからこそ、彼らは(伊集院やオーケンと比べても)今日まで自分たちをアップデートし続けてこられたと思うのである。

まあ、まともに電気の音楽を聞いていないから、そういう評価になるんだろうね。sukebeningenは、相手の人格やサブカル的なヒエラルキーの関係性でしかものを見れず、きちんと内容に踏み込む能力がないから、言葉が異様なほどに貧しいのである。それにしても、10年代の終わりにもなって、オールナイトニッポン時代の話を持ち出してまで石野卓球を叩くそのセンスの悪さは異常だよね。90年代のOSを未だに使い続けているというか、そうだから慰安婦像の隣にネトウヨ作品を置いて異化効果を狙うことが斬新みたいな、時代遅れの発想が出てくるんだろう。

こういう90年代ゾンビを駆逐しなければ、日本の未来は無い。

もうネトウヨ認定しちゃっていいですか?

※元ツイートは消されているようです。
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"かの国”とか言っちゃっている時点で、もうこいつネトウヨ認定してもいいだろう。しかし、執拗にあれは左翼のプロパガンダであってアートじゃないと壊れたラジオのようなガーガー叫び続けているの、物凄く凡庸味があるよね。


しかも、いまさら政治から切り離されたアートしか、アートとして認められないって、日本の現代アートは、どれだけ表現として多様性がなくて排他的なんだろうか。政治意識に関して言えば、こんな怪しいドラッグの宣伝をしている漢 a.k.a GAMI以下なんだよ。どんだけJアートは、日本語ラップよりも意識低いんだよw
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Jアート(笑)なんかよりもこっちの方がエクストリームだよな。
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